東京練馬高野台の武蔵野に、
東高野山と言われる「長命寺」の境内が広がる、
1613年建立とか、
早朝、
梵鐘がシルエットとなる、
日が登る、
建物のすべての屋根に、
銅が葺かれていた、
緑青色が青い空に似合う、
すっかり葉を落とした欅、
鐘楼、
境内の小さな門に、
わらじがぶら下がっていた、
附けたり、
久しぶりですが、
キリスト教保育連盟の機関紙「キリスト教保育」10月号、
『風』、
「一人ではできないこと」
4月から始まった保育園・幼稚園・こども園での生活が半年たちました。
新任の先生方は、
この半年をただただ駆け抜けてきたように思いませんか。
休みも十分に取れないまま、
行事の準備に放課後が慌ただしく過ぎて行きます。
心と体は大丈夫でしょうか。
子どもたちと過ごす楽しさはあるものの、
保護者への対応、
はたまた同僚とのちょっとした考え方の違いからか、
気持ちに疲れが出ていませんか。
行事の準備は先生方みんなで協力して行ってきたのでしょうが、
自分のクラスの中での問題には、
自分一人だけで悩んでいませんか。
良かれと考えて行ったことも誤解がもとで、
保護者からの苦情となってしまっていませんか。
また子ども同士のいざこざが双方の保護者の感情の行き違いとなり、
問題が複雑にこじれてしまっていませんか。
問題が小さなうちに、
同僚や主任の先生に相談していれば良かったものの、
相談できない何かが自分の中にあって、
今となってはにっちもさっちも行かなくなってしまったのかもしれません。
でもここで、
自分は教師には向かないと思わないでください。
教師になって、
自分自身に悩むことが教師であることの出発点なのです。
子どもたちは泣きながら喧嘩をしながらも目覚ましく成長していきます。
私たち教師もまた、
泣きながら悩みながら一人の人として大きくなっていきましょう。
それには、
自分一人で悩み苦しむだけでなく、
一人だけではできないこともあるということを受け入れる柔軟な心が大切ではないでしょうか。
問題が大きくなる前に、
一番親しい人に相談してみてください。
自分一人で解決しなければいけないと思い込まないこと、
それは自分を過信していることでもあるのですから。
気持ちを切り替えて、祈りながら再出発しましょう。