横浜英和季節だより

横浜英和小学校校長の歳時記

45 薊

2013-06-27 08:03:11 | 日記
再び、
そもそも、キリスト教教育とはどのような教育なのですか。
わたくしにも分かる言葉で教えてください。

キリスト教学校で学ぶ者は、
何を知って、どのように変わっていくのですか、と問われれば、
皆さんは何と説明されますか。


   

幹線道路の小さなスポットに打ち捨てられたかのように咲くアザミ。
なぜこのような所にと思う。
期待する、本来の深い赤紫ではなく、褪せたよう花の色。
周りを見れば、なぜと問いたくなるばかり、
なのに、なぜに答えは返ってこない。
人は時に、忘れられた孤独を感じる、
今もなお引きずっている場合もある。
その孤独を感じる者に、寄り添う方のおられることを知っていただきたい。
このわたしが、このわたしで最も良いと知った時、
世界は途端に広がっていく。



44 背中合わせの別世界

2013-06-26 08:02:46 | 日記
雨に打たれたクチナシから、微かに漂う香りに導かれるようにして、

   

茅葺屋根の門を潜る。

     

雨が笹の新芽をすくすくと伸ばす。

   

そこかしこの紫陽花の彩りが目に飛び込む。

   

   
  
   

仕切り戸の向こうに、

     

蓮の葉に受けられた露を見つける。

   
  

問い
キリスト教教育と道徳教育の違いを、誰にもわかるように答えてください。
どこにその本質的な違いがあるのでしょうか。
そもそも、キリスト教教育とはどのような教育なのですかと、
問われれば、皆さんは何となさいますか。



43 梅雨の潤いの中に

2013-06-24 11:30:37 | 日記
梅雨空の朝、九条池に架かる高倉橋に数羽の山鳩が舞い降りてくる。


 


木々の奥に旧九条邸の茶室(拾翠亭)が、取り残されたように佇む。

   


広間から望む地畔、欄干と日差しを遮る簾の狭間からの景色が奥床しい、

   


左手に藤棚を背に腰かけ待合が見える。

   
   


腰かけの背に、円と四角の窓が空間を区切る、障子は石垣貼りのデザイン。

   
   



梅雨もその潤いによって草木が一段と繁茂する。
その翠の深さが心に涼をさそう。
6月の学校は、4月からの日々の疲れが、誰しも滲み出て来る頃、
体も気持ちも疲れ気味、
祝祭日のない6月、
ここは、ひとつ乗り切る気力が必要、
青空に雲の峰の高きを仰ぐまで、もう暫くは弱音を堪えて進みましょう。
御身、御心安らかに。



42 夏至となり

2013-06-21 09:04:11 | 日記
いつの間にか夏至となる。
時流、
自分自身が流れる時間に遅れぎみなのか、
それとも時節を飛び越えているのか、
はたまた、自身の時間に悠々と歩んでいるのか、
時間の中にどっぷりいると分からなくなってしまうこともある。

「不易流行」、
「変えるべきものは変える勇気を、変えられぬものは受け入れる謙虚さを」。
何のために変えるのか、何のために変えないのか、
その「何」をきちんと知っているかどうかが大切に思う。
その「何」かが、現実という事実だけの判断では、人は深い処では動かない。

わたくしたちの関わる世界もまた、
変えない原点への回帰と、
現実を乗り越えての改革が、
その時代を反映して、その時々に繰り返されてきた。
この二つを統合するに至るのは何時のことなのか、
梅雨の黒雲の中にスカイツリーは煙る。

 


その足元の塀際には、深い緑の爽やかな空気が流れていた。

 


日常の日々の中に、美しさは隠れている。



41 早瀬の鷺

2013-06-18 13:55:09 | 日記
流れる早瀬の鷺、
   


静寂の堀は抹茶のよう。
     


石垣から染み出る水、
     


その水を受ける瓦の模様。
     


昔、火を浴びた銀杏の木に新芽、
     


石垣に消える抜け道とも思える通路、
     


御殿の下には暗闇の通路、
   


美しくも、石垣には名の知れぬ草が似合う。
 



何もせずとも時間は流れゆく、
何かを為しても、時間がその華やかな記憶をやがて消していく。
悠久の時間に身を委ねると、今まで見えなかったものが見えて来る。
残された時間が短くなると、人には何が大切かがやっと見えてくる。
また、何ものにも、愛おしさが感じられてくるから不思議である。
時間があっても、知ることは難しい。
時間がなくならないと、分からないことが多すぎる。