名古屋季節だより

京都・静岡・宝塚・東京・横浜、
そして尾張名古屋からの季節だより

続く雪景色

2013-01-31 08:10:13 | 日記
駅前に線量計が立つ。

        

鉄橋の彼方に、例年ならハクチョウが多数飛来する川岸が続くとか、
昨年は数が少なく、本年は如何ほどかと、住まう人たちは思う。

   


公園に、人影がないほどに雪はしんしんと降る。

        


時は過ぎ、雪間の青空に、
樹齢千年の三春滝桜から一つの命を受け継いだかのように、
一本の紅枝垂桜の枝が輝く。

       




付けたり

キリスト教学校で教職を志す皆さん、
「自分が教えたいと願う科目について」
自分の教える生徒の誰もが、自分が教えている科目の道に進学していくわけではもちろんありません。
しかし、教える自分が、その科目(その道)に専念していることを、
心から生きがいと感じていることを授業を通して語ることによって、
生徒は自分もまた、自分が生きがいとする道を探す夢に駆り立てられるものです。
自分が教えたいと願う科目に出会ったきっかけが、小さなことであったとしても、
それは自分にとって大切な思い出の出会いだったはずです。
授業でその小さな思い出を、生徒に語ってください。


潜む深紅の蕾

2013-01-24 09:07:16 | 日記
東京の街一面が、絹のような雪で覆われてから十日が過ぎていった。
雪はすっかり溶けているはずなのに、北側の道になお残っている。
残雪は汚されたように横たわっていた。
街の中の片隅に異次元の世界が混在する。

        

        


露地から色彩が消えたかのような、冬枯れの寒い日々が続く。
暦では睦月がもうすぐ如月となる、きさらぎの音がなぜか、心に軽やかに響いていく。

事務局の近く、深い緑の葉に、一輪真紅の椿の蕾を見つける。
その周りに、無数の蕾が隠れていた。
小さな緑の衣に、薄紅色の春が小さく覗いている、可愛い。

            

        



付けたり
 キリスト教学校で教職を志す皆さん、次の三つのことに自分の言葉で答えてみましょう。

1.なぜ自分が教職を志すのかを、そのきっかけとなる体験をその時の自分の気持ちをとおして簡潔に語ること。

2.あまたの科目の中から、なぜ自分が教えたいその科目を選んだのかを、その科目との出会いをとおして語ること。そしてその科目のどのような点(問題)に今も関わって学び続けているかを加えること。

3.なぜ公立学校ではなく私立学校なのか、それも特にキリスト教学校で教えることを、なぜ望むのかを語ること。

 いかがでしょうか。自分の思いを相手に伝わるように語れましたか。夢見つつ着実に。

大寒を過ぎて

2013-01-21 08:27:19 | 日記
昨日は、大寒。
ドウダンツツジのスケルトン、まさに冬枯れの姿。
細かな枝が微妙な細工物のよう、

一転、初夏の緑葉に覆われた姿が目に浮かぶ、
そして緑の葉に白い小さな釣鐘が無数に釣り下がる。
秋には燃えるような深紅に紅葉する葉、
小さく佇みながら、姿を変えて季節の妙を知らせてくれる。
ドウダンツツジを満天星とも表すそうな、月光を浴びた枝が一興。

             


通勤の朝、事務局の近くに見つけた一輪の菊花、
枯れた蔓を背に、他と隔絶してすくっと立つ姿は凛として冷気に輝く。

                 


読売新聞に載せられていた記事、
「冬菊のまとふはおのがひかりのみ(水原秋桜子)」
まとふは おのがひかりのみ、
まとうひかりが何によるのかを考えたい。

「私たちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、
わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」(コリントⅡ 4:16)


早春の花

2013-01-15 08:35:56 | 日記
早春といえども、木々の蕾は、まだもう少し冬化粧。
そのような日々に、今年もいつものように真っ先に出会うロウバイの花。
冬の太陽の陽を浴びて、きらきら透き通る花弁が鮮烈。
陽を受けて輝くとは、このことを言うのかと感じ入る。
厳しい冷気の中を漂う香りも、痛いほどに純粋。
早い春には黄色が良く似合う。
海崖の水仙の群生、茶の湯の和菓子のようなマンサク、土手一面の菜の花などなど。
菜の花にはこの歌が、

        「朧月夜」
      菜の花畑に 入日薄れ
      見わたす山の端 霞ふかし
      春風そよ吹く 空を見れば
      夕月かかりて 匂い淡し

朧月夜が出れば、この歌も思い出される。
歌とともに時間がその口遊んだ日々に戻る。

                   「故郷」
                 兎追ひし彼の山
                 小鮒釣りし彼の川
                 夢は今も巡りて
                 忘れ難き故郷


        



時間を越えて、
世代を越えて共に歌える歌を持っていることは、つながりです。
キリスト教学校につながる児童・生徒もまた、その学校に学ぶ期間、
なぜと問わず、覚えていただきたい、幾つかの讃美歌の歌。




夜明け

2013-01-08 08:36:42 | 日記
新しい年が始まり、一週間が過ぎて行った。
昨年そして今年と時間に見える区切りをつけることはできないけれど、
人の歩みには、時間の区切りが形となって現れてくる。
不思議なもので、気付くと見えてくるが、気付かないと同じに見えている。
節季は、小寒から大寒へと移る。
昨年のまだ静かな、朝ぼらけの深紅の輝きにも、新しい動きが増して揺れる真紅となる。


   


    


言葉にならない領域、
自分たちには了解されたキリスト教の世界に、
言葉にしなければ理解できない世界が入り組んでくる時代でもある昨今。
めざすものが同じであればと、共に歩んできたけれども、互いが感じていたものに、
微妙な違いがあったのではないかと疑問も残る。

言語化の必要性がふと、よぎる。

誰にもわかる言葉に表わせないが故の魂の世界も、
誰にもわかる言葉に表現できて初めて心が動くこともあるのかもしれない。
キリスト教学校は、何を大切にしてここまで来たのかは自明のこと。
この自明のことを、誰にも理解できる短い言葉にしてみたいとも考える。

そして、人は、人と人との実存的な出会いで生かされる。


    


最初の写真には、下弦の月に明けの明星が微かに映し出されています。
この写真には、月は移動し、明けの明星だけが東の空に小さく輝いているのを見つけられるでしょうか。
光は東方より来る、エピファニー。