名古屋季節だより

京都・静岡・宝塚・東京・横浜、
そして尾張名古屋からの季節だより

144 「始まりへの終わり、大晦日」

2013-12-31 11:03:18 | 日記

 自宅近くの三宝寺池にも、大晦日が、

 昨日と同じ景色でありながら、陰影に微妙な違いが現れる。


 木々は葉を払い、草は枯れていく。

 その日々の微かな移り変わりに、陽の動きが、辺りの雰囲気をさらに変えていく。

 そのことを感じる者たちもまた、

 昨日、今日、明日と、内なる自分と外なる自分が変化していく。

 その微妙を楽しく感じる日々を過ごす。

 


 水鳥が群れると、水面がぬめるように動く。

 冬枯れの寒さの中に、魂が静かに動くよう、

 


 木道に沿って、水鳥が歩く、自然との普段の出会いがここにもある。

 


 さざ波が、湖面を走る、都会の一角、

 

 先ほどの水鳥が、水跡を残す、

 


 白い雲が湖面に映る、動かない枯れた世界に雲が流れる。
 
 


 朝からの冷え込みに、なお湖面に氷が残っている、
 
 シラサギが動く、

    

 純白の姿を水に映す、

 

 新年をシラサギとともに。



143 「雪に煙る日光山を背に」

2013-12-30 14:43:23 | 日記
 暮の休日に束の間、日光山に入る。

 

 杉林の中には雪が少ない、
 参道の先、
 両側の古びた石灯籠の笠は苔むしていた。

 

 冷気の中、静けさが漂う。

 

 輪王寺大猷院二天門に、以前から見てみたかった「風神」を漆黒の中に見る、

    

 そして、「雷神」を。

    


 四天王のうち、
 西を守る広目天、

    

 東を守る持国天

    

 4百年しか経っていないせいか、
 何れも彩色は鮮やかに残り、切金が鋭い。


 帰りの
 日光東照宮の上神庫に、

 

 不思議な象を見る

 

 

 

 目に何とも言えない可愛さがある。



 傍に、オランダ東インド会社から贈られてきた廻灯籠が辺りを圧していた。

    

 神橋が結界となる。

 これまでのイメージとは違う、寺社の神像に、歴史の流れを垣間見る。

    

142 「冬至を過ぎ、時が変わる」

2013-12-24 12:46:45 | 日記
  
 24日、クリスマスイブ、

 京都の町も今宵は、「きよし、この夜」となる。

 

 礼拝堂玄関のアーチからハリス理化学館を望む、

    

 その向こうに、

 新島襄の永眠後、卒業生らが、新島襄を記念する神学館建築をめざした、

 その後、名称は、クラーク神学館となり、現在はクラーク記念館となっている。

    

 新島襄旧邸、玄関

 


 「新島に尋ねよ」という言葉を、在学中、しばしば聞く。




 同志社の近くに、三千家が建つ、
 
 大きく開かれた裏千家、

 

 武家屋敷門の表千家

 

 細い小路に面した武者小路千家

 

 
 「利休に尋ねよ」。



 さまざまな茶道の流れのある中、

 京都下京区に

 藪内家(本願寺茶道師範)があり、自宅の近くだった。

 

 寺院建築の大きさを誇る、本願寺の伽藍、

 

 藪内家と本願寺との間に、不思議な葱坊主の建物が、

 


 地下鉄でそのまま、伏見に
 
 時代劇の場面で見知った酒倉の前、尾花が趣を添える、見事。

 



 途中別儀にて
 月桂冠、
 神聖に入る。





 この変動の時代にこそ、

 「イエスに尋ねよ」

141 「夜の間に」

2013-12-18 09:01:16 | 日記
 事務局の隣に位置する早稲田大学、
 その大隈講堂の時計が闇に浮かぶ、

    

 遠方の東京タワー、位置を変え、角度を変えるとオレンジに輝いている。

    

 隣の教会の、大きな樅の木の下には、

 初春を待つ水仙のつぼみが膨らみを帯びていた。

    

 夜は、朝を予感させる。





 このブログ(「事務局季節だより」)を開設して、一年となる、
 誰かが見ているのだろうか、とも思いながら。自身の目に映ったこと、感じたことを記す。
 2012年4月1日に事務局主事に就任し、その年の12月19日にブログを開設、
 その間、瞬く間に月日は過ぎていったのを思う。



 本年度4月、学校に勤務された教職員の方々、

 みなさんにとっても、さまざまなことが立て続きに起こった日々だったのでしょうか、

 その不安の中、失敗の中に、自身が問われ、その分、自身も培われてきたのです。

 
 それぞれのキリスト教学校という場において、

 建学の精神である、
 キリスト教学校教育の教え(「施方尽くれども、希望を失わず コリントⅡ4:8文語聖書」)
 絶望のときにこそ、希望を祈ることをもってして、

 児童・生徒・学生、

 そしてそこに連なる保護者・同窓生、

 教職員、

 さらには関係者の方々、一人ひとりに、

 真向って語り、接してこられたと思います。


 今日もまた、そうありたいものです。
 そのことしかないと感じる、今日この頃ではないでしょうか。

140 「遅い夜明け、早い夕陽」

2013-12-17 08:12:38 | 日記
 冬至を前にこの時期には、

 夏とは全く違う朝がある。

 夕陽と見間違う太陽、
 
 空を焦がす朱に染まる朝がある。

 

 7時前にならなければ、
  
 太陽はビルの谷間から顔を出さない、
 
 その間、ビルの向こうの空は、

 刻々と色彩を変えていく。

 

 この壮大な天空の微妙な変化に気づかなければ、
 
 夜明けを待つ寒さの中に留まるだけでしかない冬の朝となる。

 




 
 夕陽に強烈な一条の輝きを感じることがしばしばある。

 

 これほどにドラマチックな刹那があったとは、

 これまでどうして気がつかなかったのか、

 不思議なほど、



 人の過ごしてきた年月の意味は、
 
 終わろうとする時間の中でこそ、

 すべてが明らかにされていくと聞く。



 ベランダから、ケヤキの木を通して、

 シルエットに見る富士、

 隠し絵のように、
 
 隠れているところが愉快。