名古屋季節だより

京都・静岡・宝塚・東京・横浜、
そして尾張名古屋からの季節だより

89 「古き建物から、」

2013-09-30 09:32:29 | 日記
 時代を生きてきた人たちが、
 その長きから、時代を生きた香りを時に思い出すそうな。
 それは、路地であり、表通りの家並からであったりすると言う。

 時代の家がなお残っている所が、あちこちに保存されてある。
 その一つが、東京都小金井市にある。

    

    

    

 




 

 


     


 わたくしたちの住む町にも、そのような家屋があるはず。
 訪れる者がいなくとも、
 そこに季節の移ろいが溶け込んでいると、生活の息吹がなお感じられてくる。

 キリスト教学校にも、時代を伝える建物が多く残されている。
 そこに学ぶ者に、その建物は何を語りかけているのだろうか。

 歴史的建造物のみならず、
 パイプオルガンの音が、
 さらにそこに勤める教職員の一人ひとりが、
 歴史を越えて、何を伝えているのだろうか。

 自身の勤める学校が、歴史を通して大切にしてきたもの、
 そのこころ、精神とは何だったのか、
 そのことを知らなくても、時間は過ぎて行く、
 それで良いのだろうか。


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88 「茶碗、一つに日本史が宿る」

2013-09-29 21:29:13 | 日記
 東京都港区虎ノ門に、菊池寛実記念 智美術館があることを偶然知った。

 「喧騒から遠く、非日常の空間で、作品と出合う
  智美術館は、現代陶芸のコレクターである
  菊池智のコレクションを公開するために 
  2003年4月、開館した美術館です。」とある。

 その成り立ちを聞くにつけ、思う心の深さに感じ入る。
 近現代の作家たちによる茶碗を通して、そこに映し出される個性と時代性を展示する試みという。


 けだし、茶の湯の世界に、
伝えられし茶碗には、戦国武将の時代を映す気が感じられる。


 『現代の名椀』展 2013.9.14~2014.1.5 開催

 

 特に、
 川喜多半泥子
 「井戸手茶碗 銘 さみだれ」

 

 さらに、加藤唐九郎、鈴木蔵、楽吉左衛門、金重友邦、隠崎隆一氏の作品に魅せられる。
 それぞれの作品は、間近に観られることをお勧めいたします。

 軸 立花大亀 老師 「放下着」(すべてを捨て去ったところに、見えてくるものがある、と言う)
  
 
 
 出口扉から、外を

 

    

 秋深まりぬ。

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87 「27日、その日に」

2013-09-28 08:46:55 | 日記
 ベランダよりの朝陽が本日は、殊のほか美しい。

 ビルの上、インベーダー 一匹発見。

 

 新宿までもいつもよりも見渡せるほど、
 都庁、そして東京エンパイヤステートビル、新宿の高層ビル群、

 



 セミが鳴き出した日、特にヒグラシの声を聞いた日、
 秋の虫の声は何時の日、
 そして、秋になって、富士が見えだした日、
 気にしていることが何になると思うが、
 その日が昨年より早い、遅い、と気になる。
 その日に出会うと、その日がとても楽しい日となる。
 おかしなこと。

 昨日、朝、通勤の電車の窓から富士を見る。
 懐かしい、空に溶け込むように、灰薄青色の富士だった。これからが楽しみとなる。

 ベランダからは、まだ見えない、

    

 本日28日、車窓から富士は見えなかった。

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86 「雲から突然の声」

2013-09-27 08:07:01 | 日記
 7階の事務局の窓から、

 夕刻に空が一変し、天空から言葉が漏れてくるかのよう、

 

    

 映し出された雲に、皆さんは何を感じるのでしょうか。
 わたくしは、思い出したのです、静岡県立ロダン美術館の「地獄の門」を、
 何故なのか理由などないのですが、確かに。
 
 そして雲はやがて、少し形を変えて、
 雲間に何時もの変わらない空を見せだしたのでした。

 




 事務局の建物の前に、レンガの建物が建っています。スコットホールと言います。
 夕暮れに、窓から明かりが漏れだしていました。

    

 突然、パイプオルガンが、讃美歌276番が漏れてきました。
 「光と闇との行き交う巷、何れの方にか 附くべきわが身、
  燃え立つ命を御前に捧げ、今しも行かばや、真の道を」

 
 
 

 敷地を出た斜め前に、ツタの絡まる木がいつものように立っていました。

    

 何時も見ていながら、何時もと違う思いが過ぎる、ある日のことでした。

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85 「秋のひと日」

2013-09-26 08:08:09 | 日記
 桔梗がよく似合う秋の日々。
 この薄紫が秋に哀愁を添えるのだろうか、

 

 

 となりに、「コルチカム」という色を透かしたような小さな花が。

    






  機関紙キリスト教学校教育「事務局だより」から

  「酷暑と豪雨の夏の日々、天候の人の意のままにならないのは、昔も今も変わらないようです。
   それにしても、この夏には様々なことが起こりましたが、皆さまの所ではいかがでしたか。
   ところで、キリスト教教育とは何かを、誰にも分かる言葉で語ることは、とても必要なことと最近思います。
   分かるとは心に染み透るということです。
   敢えて、学校において、保護者に対してのみならず教職員、児童・生徒・学生にも、分かる言葉で伝えたいものです。
   今さらと思われるかも知れませんが、現実は、伝わっていないのです。
   ギリギリの所に立たされた者、絶望しか感じられなくなった者に、
   明日を生きる心を伝えるには難しい言葉ではなく、
   時間が必要なのかもしれません。
   体験という一緒に過ごす時間が大切なのでしょうか。
   『教育同盟』の場が、その時間の場でありたいと思います。」




 一転、仕事での道すがら、赤坂離宮の広大な芝生に松林が醸し出すのは、また、別な秋の世界である。

 

 







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