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鉱物の部屋へのいざない

佐々木昭一郎さんの訃報

2024-06-21 15:31:39 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、「石の華」店内で、私が今年もパスしたミネラルマーケット2024に行って来たというTさんからの報告を聞いていた時に、佐々木昭一郎さんの訃報が入ってきました。

Tさんの話は興味深かったものの、その訃報に接し、驚きと共に動揺し、ミネラルマーケットの話は中断になってしまいました。

佐々木昭一郎さんとは「四季・ユートピアノ」(1980年)などの独自の佐々木スタイルという映像作品で、国内外で高い評価を受けた元NHKディレクターです。

私が大学生時代から20代の若い頃に大きな影響を受けた映像作家でした。

私が鉱物にハマってしまった30年前位からは、交流はほとんど無くなっておりましたが、昨年の12月頃、佐々木さんがまだ野球をやっておりお元気だと聞いておりましたので、昨日の突然の訃報に衝撃を受けました。

昨晩は、佐々木さんを通して知り合った旧友とFB上でなつかしい話をしたのですが、若い頃の私は佐々木さんを中心に回っていたのだと再認識してしまいました。(このブログでは「島7」2012.12.11に佐々木さんの「夢の島少女」についてチョットだけ触れております。)

佐々木さんの葬儀は近親者で行ったそうで、昨日が告別式だったそうです。ご冥福をお祈りいたします。

今日のブログでは、私と佐々木昭一郎さんとの出逢いについて少し書きます。

私は、佐々木さんがラジオの演出をしていた頃からNHKのラジオドラマでそのお名前は存じ上げておりました。特に「コメットイケア」(作 寺山修司 1966年)はリアルタイムで聴いた覚えがあります。

テレビドラマでは「さすらい」(1971年)をリアルタイムで見た記憶がありますが、何と言っても「夢の島少女」(1974年)を見た衝撃は忘れられません。当時、私は高校生でしたが、その感動は数日間消えませんでした。

その後、大学で「テレビドラマ史」(講師は鳥山拡さん)を受講していた時に、鳥山先生から「佐々木昭一郎の新作の試写会がNHKであるが一緒に来てみるか?」という夢のようなお誘いがあり、私は大喜びで先生に付いて行きました。

上映作品は「四季・ユートピアノ」(1980年)で、その試写室が、私と佐々木昭一郎さんとの初の出逢いの場となりました。それは1979年12月21日、放送の3週間くらい前の日でした。

その試写会場には他には早稲田大学の山本喜久男教授、映画評論家の佐藤忠男さんが同席しておりました。

試写会が終わると、佐藤忠男さんはすぐに帰られたのですが、佐々木さんと鳥山先生と山本喜久男教授と私は、渋谷の居酒屋に移動し、お酒を飲みながら、作品の事などの話をしました。私は作品を拝見し、深く感動した事や、衝撃的だった「夢の島少女」の印象などの話をした記憶があります。

上の写真は、その居酒屋で飲んだウィスキーの瓶です。佐々木さんのサインもあり、出会いの記念として大切に保管しておりました。

それは、現在、自宅の居間に置いておりますが、元日の震度5強の能登地震でも棚から落ちず無事でした。更に、過去6回の私の引っ越しの際にも傷付く事無く現在に至っております。

昨日も思ったのですが、今回の佐々木さんの訃報では、やはり、一つの時代が終わった、という思いがします。・・・。

 

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