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鉱物の部屋へのいざない

金沢博物館 続報4

2017-01-31 11:53:07 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、金沢大学資料館に行ってきました。その目的は、「旧石川県専門学校敷地並資産引継書類及目録」(第四高等中学校 明治21年)という資料の原本を見て確かめる為でした。それは、金沢博物館(石川県勧業博物館)に展示されていた鉱物標本が、同じ石川県が同時期に開校した石川県専門学校に移り、それが金沢大学の前身である第四高等中学校に移っていたのかもしれないという仮説の検証の為です。

で、それを見せてもらったところ、「博物並生理学標本類」という頁に金石標本(二箱)という表記があったものの、それ以上の記載は見当たりませんでした。たった二箱?!金沢博物館の標本数の総数から考えるとあまりにも少なすぎます。がっかりしました、というか、恐らく、その記載の二箱は別のものだろうと思いました。もしかすると、金沢博物館にあったものの一部の可能性も少し残っているかもしれませんが、その二箱のものが現存していない事を考えるとそれを検証する術がありません。

ただ、金沢は戦災にあわなかった事などから、金沢大学にはキャンパス移転(平成元年)があったものの、過去の標本類が残されている可能性は大です。私は過去に一度金沢大学の自然科学系の地下倉庫に入った事があるのですが、そこで膨大な数の標本類が保存されている現場を見た事があります。もしかすると、その中で密か保存されている可能性も残っているとは思いますが、それを発掘する作業は大学の関係者にしかできない事だと思います。

それから、石川県勧業博物館の陳列品の一部は明治42年に石川県物産陳列館(後の陳列所)に引き継がれましたが、その中に鉱物標本があったかは確認が取れていません。ただ、そこは戦後の1948年に火災で全焼しましたので、今となっては引き継がれなかった事を祈るだけです。

今回の私の金沢博物館の鉱物標本の行方探しの現状ではここまでです。それは興味深いミステリーを読むような感じだったと思います。

また、そこから、これまで知らなかった事を数多く知る事ができましたので、副産物的な収穫はたくさんあったと思います。

そして、その中から、また、面白い仮説も生まれています。その事についてはまた後日書きたいと思っております。

今回は過去の歴史を探る事の面白さを知りました。このテーマは今後も続きます。

ところで、このブログへのアクセス数の累計がブログ開始から500,000PVを越えたようです。どうもありがとうございました。次は目指せ1,000,000PVだと思うのですが、果たしてどうなるでしょうか?


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1 コメント

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やはり・・・ (TY)
2017-01-31 17:44:40
金沢大学までで追跡が絶たれましたか。残る可能性は上野の国立科学博物館への移送の可能性ですが、これは個人では無理があります。もし、移送されたのなら何らかの記録が残されても良さそうです。保管に困って廃棄されたのかもしれませんね。
ご苦労様でした。本当に。同好会で会誌を作る機会がおありなら記録を残していただきたいです。
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