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鉱物の部屋へのいざない

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「かないっこない」

2017-08-06 11:20:23 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、「ヨーガンレール 文明の終わり」展(金沢21世紀美術館)に行って参りました。昨日は初日で、私のお目当てはババグーリ/瑪瑙石の展示でした。

猛暑日一歩手前という暑い中、まだそれほど乗っていない電動自転車(アルベルトe)で現地まで行きました。開館の10時前には到着しましたが、チケット売り場では既に長蛇の列ができており、あらためて金沢21世紀美術館の人気ぶりを実感しました。オープンまで列に並び、オープンと共に他の展示は、すばやく飛ばして、ババグーリ/瑪瑙石の展示コーナーに行きました。そのコーナーへはどうも私がトップだったのでしょうか?あれほど多かった人たちは誰もいなく、展示されている瑪瑙の転石(小石)の数々を一人独占状態でじっくり鑑賞できました。

その展示されているババグーリの数々は似たもの同士に分類されていました。ただ、それらのどれもが唯一無二の美をはなっておりました。それらは長い時間をかけて拾い集められたものです。見ていて、それらに魅了されたというヨーガンレールの美意識を感じ取る事ができたような気がしました。

美術館で石が展示される事は珍しい事だと思います。私が知っている限りでは、愛知県美術館で見た大谷コレクション(東京・神田のデルタ・ミラージュという画廊でも同じもの見ました。)、銀座メゾンエルメスで見たロジェ・カイヨワのコレクション、INAXギャラリーで見た青森の錦石、森美術館で展示されていたというル・コルビュジエのコレクションなどだけで、数少ないと思われます。それもそのはず、石とは自然のものであって、本来、人がつくった作品ではないからです。美術館という空間では異質な存在です。

ヨーガンレールはテキスタイルデザイナーであって、私的には関心の薄い存在だったと思います。私がヨーガンレールの存在を意識したのは「Babaghuri」という瑪瑙の写真集でした。それは今から10年ほど前、名古屋のノリタケギャラリーでの古橋尚さんの石の個展会場での事です。その会場には古橋さんの石の本のコレクションも置いてあり、それらの中にロジェ・カイヨワの「石が書く」などと共にヨーガンレールの「Babaghuri」もあったのです。その本の存在を知らなかった私は、さっそくその本を株式会社ヨーガンレールから取り寄せました。(昨日、自宅の書庫でその本を探しましたが、整理が悪く、すぐには見つかりませんでした。)それが私がヨーガンレールの存在を始めて知った経緯です。

今回、たまたま店にいらっしゃった鎌倉からのお客さんから金沢21世紀美術館でヨーガンレールの石の展示がある事を教えてもらい、また、それと偶然ですが、ほぼ同時期に、あるお客さんのスマホの待ち受け画面がヨーガンレールのババグーリだったのを見た事などから、忘れていたヨーガンレールの存在を思い出して、それでそれを見に行ったのでした。

今、私はヨーガンレールの人生に興味を持っています。それは瑪瑙拾いが日課だったという事だけではありません。ファッションブランドで成功していながらも自然と共に暮らし、その最期は石垣島での交通事故死(2014年に急逝)だったという事。その死は、路面電車に轢かれて亡くなったというアントニオ・ガウディやヴェスヴィオ山の噴火で亡くなったというプリニウスと同じように理想的な死に方のひとつのように思えます。

今回の展示会はヨーガンレールの最後の仕事になった作品のようです。海岸に打ち寄せられた廃品のプラスチックから再生された美しい照明と対照的な自然のままの瑪瑙からは強いメッセージを読み取る事ができると思います。

それが今日のタイトル「かないっこない」です。

何となく「いっこしかない」と音感的に似ています。

今日のブログの写真はババグーリではなく能登半島の瑪瑙です。これも「かないっこない」「いっこしかない」ものだと思います。






コメント (2)
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