今日は「科学」です。このブログでも「科学」という言葉は何度も登場してきましたが、厳密な意味での「科学」を理解する事は非常に難しい事です。
ここ数日、大きなニュースになっているSTAP細胞の話題は論文の問題に留まらず、STAP細胞そのものへの疑念へと変貌しつつあります。事の真偽はともかく、新発見という話題性が大きかっただけに、残念な事になってしまいました。
今回の騒動は日本の科学への信頼性を揺るがしただけに留まらず、科学そのものを再考しなければならない事態になっているようです。事は深刻です。
思えば、ここ数年、科学的常識が疑われる話題がよくニュースになります。ハイゼンベルグの不確定性原理然り、ニュートリノの超光速の話題然り、科学の世界が揺らいでいるようにも思えます。前者はより正確な小澤の不等式として修正されましたが、後者は間違いである事が実証されました。
そう言えば、科学の世界ではこれまでにも非科学的な事が何度も起きてきました。古代ギリシアのアリストテレス学派による「落下運動の速度は落下する物体の重さに比例する」という誤謬や中世キリスト教世界の天動説やソ連時代の遺伝学におけるルイセンコ騒動、等々、人間の権威や権力による科学的事実の歪曲はこれまでにも枚挙にいとまがありません。むしろ、科学の歴史は誤謬を修正しながら進化してきたとも言えると思います。
それは現代でも同じなのかも知れません。実際、現代でも様々なトンデモ科学が横行しております。
それでは「科学」とは何なのでしょうか?科学と非科学とは何が違うのでしょうか?
20世紀前半に科学哲学者カール・ポパーは反証可能性の概念を提示しました。それは科学哲学的に、ある程度は客観性を保っているとは言えますが、それでは反証不能な主に人文系の科学は科学ではない事になってしまいます。どうも科学と非科学との境界は非常に難しい問題のようです。
科学的手法には考えられる様々な仮説から、再現性を持つ実験や観測を行い、その結果に矛盾しない説明を選びだすプロセスが必要ですが、さらに用いた実験方法や測定方法が公開され、第三者に検証される事が重要です。
今回のSTAP細胞はそれ以前に論文の作法や倫理の問題にさかのぼっています。それが検証されずに公表された事にも問題がありました。さらに他のニュースでしたが、科学における不正行為という事実もあり、これらの事は現代科学が背負った根深い大きな問題に絡んでいるのかも知れません。
「科学」とは何なのか?今一度、再考する必要性を感じます。