西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

理想と情熱を失う時、青春は終わる

2007-03-30 | 言語・字・言語遊戯
誰が言った言葉か分からないが、表記の「理想と情熱を失う時、青春は終わる」という言葉は心に残る言葉の一つだ。これは、青春とは物理的な若い年齢期という意味ではない、ということ示している。いくら年を重ねていても理想と情熱を維持している限り青春なのだ。これは、明日で今学期、今年度が終わるにあたり、若い卒業生と共に定年で退職する団塊初期の人たちにも贈りたい言葉である。同時に自分自身にも言い聞かせたい言葉である。

5億3千万年頃前カンブリア紀の「生物爆発」(カンブリア爆発)

2007-03-30 | 色々な仮説や疑問
奈良女子大学のメールマガジンは毎週金曜日に発行されており、今日発行のものがが最新版だ。そこには、23日の学位記・卒業証書授与式での久米健次学長の式辞も載っていた。その中で久米さんは「今後、多様性が重要となるが、過去に顕著な多様性を求めると、約5億3千万年程前のカンブリア紀爆発という生物爆発が見られる、数十から一万ほどへの大爆発で生物の多様性の幕開けだ」との趣旨を言っている。これは、何故だか分かっていないようだが、現代の「多様性」追及、肯定の流れに似せている。

今や、多様な個性の自立とそれらの有機的連携が重要だ、と言えよう。

生活空間の描写と俳句

2007-03-30 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
生活空間をきちんと読者に伝えようとすれば、詳細な説明文章と図面、写真などが必要で、たった17文字の俳句では到底正確に伝わらないと思われる。俳句だと、例え生活空間を詠んだとしても、その範囲が正確に分らない。それを読んだ読者の想像力にゆだねられることになる。例えば、
古池や蛙飛び込む水の音   と言っても、どれ位古い池なのか、その大きさは?、池は何で囲われいるのか?どういう種類の蛙なのか等々、正確には分らず読者の想像にゆだねられているのだ。
しかし、その空間やそれに対応した人間、生活の様子の中心点がぱっと分って、なお余韻があるのは、俳句による表現だろう。

同じ芭蕉の先に引用した
山も庭も動き入るるや夏座敷

その他

ひやひやと壁を踏まへて昼寝哉
秋ちかき心の寄(よる)や四畳半
作りなす庭をいさむるしぐれかな

などが私の愛吟句に入っている。今後、『住まいと俳句』というカテゴリー分化も考えてみよう。

「人々とのつながり」制度と実際

2007-03-30 | 地域居住学
「人々とのつながり」の制度として家族制度がある、また色々な組織がある。フォーマルな組織からセミ・フォーマル、インフォーマルな組織まで・・。で、制度だからと言って安閑としていると空洞化して、例えば、ある日突然「三くだり半」を突きつけられることも起こりうる。
ところで、去年の3月に金沢の母校の高校(金沢大学附属高校)で「高校版 ようこそ先輩」で「つながりの豊かな地域居住」という2時間ばかりの講義と質疑をした。今回、その講義録が送られてきたので読み返した。その又1年前に奈良女子大学を辞める時も同じテーマで喋ったが、高校の後輩向けには、より分りやすく話そうと工夫した結果、更に1年前の大学生等相手には触れなかったことまで突っ込んで喋ることになった。
で、「人々とのつながり」の手段・段階を整理して、1)五感交流、2)言葉によるつながり、3)共同行動によるつながり そして4)制度による組織的つながり
とした。これで言いたいことが一寸見えたとも言えるが、制度によるつながりを空洞化させないためには、その成立の前提でもある1)~3)をしっかりやらなければならない、ということである。朝ドラ「芋たこなんきん」は明日終るが、あの夫婦を見ていたら良く分るであろう。後輩に喋るために考察が一歩前進したと言えよう。

蘇州運河 部屋の天井に なりにけり

2007-03-30 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
「世界わが心の旅」と言うテレビ番組があったが、そのうちの「中国・蘇州 水は命」(旅人 建築家・安藤忠雄)を昨夜Gyaoで見た。水の都・大阪で育ったので安藤さんは、運河の町・中国・蘇州に惹かれたようだ。あるところでは、家に入り込んで窓から運河を眺めている。「運河が何かこちらに入って来るようだ」と言ったコメントをしている。天井に映った運河が揺らいでいる。ああ芭蕉の「山も庭も動き入るるや夏座敷」だな、と想った。
そこで一句: 蘇州運河 部屋の天井に なりにけり  市路