西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

地歴の先生達との会話

2007-03-18 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
上野邦一さんの退職記念パーティで、地理の出田(いでた)先生(次期文学部長、棚田の調査研究もしておられる)、歴史の館野先生(古代日本史、COEリーダー)と駄弁った。私は、平安女学院大のK.先生から聞いた話を少し私流解釈も入れて話してみた。たまたまお二人が地歴の先生だから、と意識して話したわけではない。「大学に入ってから伸びる子というのは、数学や国語が得意というより、面白がって地歴を勉強した子、といわれるが、私もそう思う。」「但し暗記物みたいに勉強した子は、大学に入っても金輪際こういうのは嫌だ、と言って近づかない傾向あり」「しかし、心高ぶる物語(Hi-story)として歴史を勉強し、地理を学ぶと旅行が楽しい、と言った具合の子は伸びる・・」で、私もどんな学問も最後は「学問史」ではないか、と言ってみた。
又、地歴も細かく分けて、それらの領域を護るのではなく、相互に乗り入れて議論すべきでは・・、とも言ってみた。歴史にも、長短のレンジがあることは言う暇がなかった。お二人は「理科系でも、そういうことを言ってくれる人は少ない」と言っていた。そうだろうか。とにかく、何事につけ、地理は空間、歴史は時間の具体像でもあるのだ。

1996年(平成8年)卒の元学生達に会う

2007-03-18 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、上野邦一さんの奈良女子大定年退職記念パーティ、これも大学会館の生協食堂が工事中だったので二階の大集会室で、学生の手作りで行なわれた。そこで、上野さんが住居学科におられた頃の上野ゼミ出身の元学生達に会った。顔は分かるが名前が出てこない。一人から名刺を貰った。一級建築士で自営、名前を見ても思い出さない。結婚して姓が変わっているのだった。皆に、私の講義覚えているかい?と聞いたら「道は未知に満ち満ちている」「歳をとるところは廊下(老化)」「恐いところは階段(怪談)」「静かなところは寝室(シーン室)」・・と次々出てくる。全て私が講義中に時々(?)言っていた洒落(駄が付くか?)ばかり、図に乗って、その後の「都道府県シリーズ」も言っておいた。帰ってから名簿を見て「西村ゼミ生」もチェックしてみた。彼女等は卒業11年目だから卒業30年まで後19年ある。それまでは、元気にしていたいもの、と思った。
都道府県洒落例:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b6823ca04d62cd7ad86b5749b2a1c385

上野邦一さんの定年退職記念パーティに参加

2007-03-18 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、奈良女子大学生活環境学部長の上野邦一さんの定年退職記念講演及び定年退職記念パーティがあり参加した。記念講演は重要文化財の記念館で行なわれた。別の急用のため終わる頃に行った。上野さんは私より2歳年下で1944年(昭和19年)の早生まれ、中国東北部(旧満洲)の生まれだ。お父さんは満鉄勤務、戦後、昭和20年末に帰国、その後、お父さんに付いて全国各地を回る、高校は高松高校出身、大学は名古屋大学工学部建築学科一期生、1962年(昭和37年)入学、何処で1年遅れたのか分からないが10年ほど名古屋在住、学部を卒業し大学院(建築史の研究室)を経て、1972年に博士課程を単位取得退学して奈良国立文化財研究所に勤務、1992年に奈良女子大学家政学部住居学科の教授として赴任、家政学部を生活環境学部に改組した時に「生活文化学専攻」に移籍、現在に至る。私は、1966年に京大大学院(修士)を出て豊田高専に赴任して週一日の研修日に名古屋大学(都市計画研究室)にも時々出かけたので、多分、廊下ですれ違っていたと思う。実際に面識になるのは、私が京大より奈良女子大に赴任した頃だ。1974年以降である。上野さんとの思い出は沢山あるが、今思い出すのは(1)数冊本を貰った中に奈文研時代のイタリア留学時代のスケッチ集、現代詩大系(中に上野さんの詩3編収録)そして『建築史の想像力』があり、最後の本は上野さんの指導教官だった小寺武久先生が名古屋大学を退官される時の記念論集の面も持つ。一期生の上野さんと小寺先生の後任の片木 篤さんが共編している。これらの三冊は、上野さんの別の面を覗かせていて面白い。最後の本に、建築の形の「四角、三角、丸」を扱った上野さんの小論があり、私の当時の小論(習作)と良く似た論旨を持つ。全く独立に考察した結果である。何時か共著を、と提案しておいた。(2)奈良町で空き家活用のアイデアで私は、各大学、各分野(奈良に関連した・・)のセミナーハウス群に、と言い出していたのを、実際に私が奈良女を退職した後に実際に実現(奈良女子大学セミナーハウス)の力になって頂いたこともある。(3)私の後、しんどい法人化後の学部長を2年勤めていただいたこと。
これらに対して、ご苦労さん、定年おめでとう、と声をかけたい。
今後は、東南アジアの遺跡保存の仕事を続けていかれるようだが、私も「暇」になったら、上野さんの案内でアンコールワットに行きたいと申し出てある。また、私のやりつつある「NPO地域支援研究フォーラムなら」にも協力していただいているが、是非一緒に前進させたいと思っている。
私のブログには過去、上野邦一さんの登場する記事が多数あるが、幾つか上げておく。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/67a854c397585a61732751a870b6d790
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/04abd8586e454f0b92cf5d6ee9786076
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/28842fff5144ea781c2a62ecaabc97f5
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/1a7529e1411ced6adef271230eb199d6
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/a9d603775efa17c7093734bff6821bc4