西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

蕪村と芭蕉

2007-03-19 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
正岡子規が蕪村をかったこともあり、蕪村が見直され色々の人が蕪村を語ることになった。しかし、与謝蕪村の尊敬する先達は松尾芭蕉である。少し前に藤田真一著『蕪村』(岩波新書)を読んだ。藤田真一さんはその著の「ことばの伝統性」というところで、「古庭に鶯啼きぬ日もすがら」という蕪村の句について次のように述べている。「紀貫之が書いた『古今和歌集』の仮名序に、つぎのような有名な一節がある。花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いずれか歌をよまざる。これによって、鶯と蛙は、歌を歌う生きものの代表選手となった。そして、これが、鶯・蛙の本意の基本となった。蕪村の「鶯」も、かの「古池や蛙(かはず)飛(とび)こむ水のをと」の蛙も、古今集以来の由緒ある血統をひいていることになる。また、この蕪村にとって、芭蕉のことも意識するべき対象であった。蕪村が「古庭」と言いかけたのは、芭蕉の「古池」に応じたからにほかならない。蛙だから「古池」、では鶯なら「古庭」になるだろう、というのだ。芭蕉のもじりといってもよい。つまり、「鶯」の本意性と「古池」のパロディをないまぜにしてなった句といえる。実は、これは、「蕪村」号のお披露目句であった。蕪村がこの句に、改号の意気をしめそうといたとしてもふしぎではない。・・」(「同上書」128~129頁)
私は、この藤田氏の解説を前提として、更に踏み込んで考えてみたい。蕪村は、芭蕉の「古池」に対して「古庭」、同じく「蛙」に対して「鶯」を対置しただけではなく、一瞬の「水のをと」に対して長い「日もすがら」も対置している。句の風景は、古庭にある梅ノ木に鶯がとまって一日中啼いている、というものである。私の視線は鶯に向かってやや上方を向いているが、ここで下方はどうなっているかと目を向けると「ハッ」と気付くのである。古い庭だから古い池があってもおかしくないのではないか。ならば蛙がそこに飛び込んでいても良いのではないか。即ち、この「古庭」の中に「古池」が包含されているのではないか。「古庭」の方が「古池」より空間的に広く、「鶯」の方が「蛙」より視点が高く、また、「日もすがら」の方が「水のをと」より時間的に長いので、「古庭」句が「古池」句を包摂できるのである。また紀貫之の言う「蛙の声」に対して、芭蕉は新しい「飛び込む蛙」を見出したが、蕪村は貫之の言う「鳴く鶯」にこだわっているとも言える。
古庭に鶯啼きぬ日もすがら
「蕪村」号スタートにあたり、ある意味で、「芭蕉」なにするものぞ、の気概を表し、蕪村句は最も人口に膾炙している芭蕉句(「古池や蛙(かはず)飛(とび)こむ水のをと」)を言外に取り込んでいる二重風景句とみたらどうか、と私は思う。