西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

建築の形態は企画・計画・設計過程の何時生まれるのか

2007-03-21 | 住まい・建築と庭
最近来た『建築とまちづくり』(No.351,2007年1月号)で、伴 年晶さんの「形態の呪縛を超えて 止揚された建築へ」を読んだ。伴さんとその事務所VANSのコンサルティング、設計で出来、私もそこに「書斎」を持つコーポラティブ住宅「T・・」を身近に知っているし、その時の伴さんの作法も身近で見聞したことがあったので、その論考を興味深く読んだ。これによると、(1)「僕の(注:伴さんの)建築感における建築デザインのレベルアップの必要条件は建築目的の高揚・発見に他なりません。使用者がやってもらいたいこと、僕たちがやりたいことを互いに高めあい完全に一致させることは、いつも僕達の設計監理業務の絶対目標になっています。」偉い!と思う。・・「建築はつくるものではなく”できるもの”。」含蓄有り。(2)「内なる建築目的は、使用者から聞き出すだけではダメで、しっかりと対話し、高揚、さらに普遍化することが、必要なひとつです。」研究における調査にも通じる。(3)「もうひとつ必要なのは、”外なる建築目的”です。それは、その環境との対話・観察することで見えてきます。ここでは対話の相手は使用者ではありません。社会・自然環境を読み取り、建築家の構想力と技術力で総合し、さらに機能と性能の幅に高さ(縦軸)を加え立体化した建築目的と建築手段をスパークさせ、形態に結実させるところを専門家として担うのです。」(4)「僕達によくあるのは、建築形態が計画設計経過の中で諸要求にジワジワと対応していく中で、形態・技術の合理性を壊し、不幸せな関係のままで妥協してしまうことです。初期段階に幸せに結合したかに見える建築形態にむやみに固執している建築家は、見苦しい限りです。設計過程で目的と手段の双方に磨きがかかり、その二つの変数が大きく成長しています。したがって、設計後期に幸せな建築形態に彩やかに再スパークすることが、多くの場合、必要になってくるようです」
まあ、「そとなる建築目的」の把握については、まちづくりとの接点で更に突っ込む必要はあるとは思うが、企画・計画・設計過程を何十となく経験している人ならではの考察と「まとめ」であると思った。つまり、建築形態への「スパーク」は、山は少なくとも二つあるということだ。私達の「T.居住地」でも全体計画は数度描き直されたことを知っているし、机上の空論ではないな、なるほどな、と思った。
(写真は、伴 年晶(としあき)さん)

西行の「花」の和歌に対する後世の俳句について(3)

2007-03-21 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
以上(1)(2)と西行の「花」の歌に触発されて後世色々な俳句が生まれてきたことを述べた。(勿論、もっと調べるべし!)それらを見ていて、松尾芭蕉の「西行の庵もあらん花の庭」と現代俳人・角川春樹の「西行の庵の闇に花女郎」という句が共鳴しているのに気付いた。「西行、庵、花」と上五、中七、下五の頭を同じにしたのは、勿論、後世の春樹の意図である。ところが、この二句の風景は、全く別というか、いわば逆なのである。これも意図的に春樹がそうしたのである。芭蕉の風景は「桜の植わった見事な庭があるが、その奥にはきっと(死を待つ)西行の庵があるに違いない」といった春の風景であるが、春樹の風景は「西行の庵の闇(薄暗い床の間か)にひっそりと女郎花(おみなえし)が置かれているなあ」というもので、女郎花は秋の七草だから秋の風景である。女郎花は仏花でもあり秋の彼岸に置かれているとするならば、西行は先立つ春に亡くなって初彼岸を迎えた風景とも言える。もちろん、春樹の句の前提として、庵の外には庭があり春に咲くべき桜も植わっているのである。
このように春樹の趣向は、芭蕉の取り上げた西行の庵を真ん中に置いて、空間的には外の風景と内の風景、時間的には春の風景と秋の風景を連続的に捉え桜と女郎花(花女郎と記していることにも注意)の対比によって哀感を出そうとしたと言える。このように先人を受けながら、更に展開しうるのは、我々現代人の特権とも言える。ところで、「春樹」とは、即ち「桜」と思われるが、敢えて自分の名前でもある桜を避けて女郎花をもってきたのも角川春樹の趣向であろう。
このように関連二句を二重風景、展開風景とみる見方は前に「蕪村と芭蕉」で述べた問題意識と通底している。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/ea0aa902bd26fd9a1ed8514fd24c2582

西行の「花」の和歌に対する後世の俳句について(2)

2007-03-21 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
近代になると、例えば、正岡子規の『病状六尺』(岩波文庫)に「西行庵(さいぎょうあん)花も桜もなかりけり」という句がある。西行には「花も桜も」つきものなのに「それらがない」というのである。だとすると、西行は庵のすぐそばでは死ぬに死にきれないのではなかろうか。一方、子規は、そんな桜のもとで死ぬなんて馬鹿らしい、と「病状六尺」で思ったかもしれない。実際、子規には「林檎喰うて牡丹の前に死なんかな」と、桜ではなく牡丹の前で死のうかな、という句があるくらいなのだ。
更に角川源義(角川書店創立者)に「花あれば西行の日とおもふべし」(桜の花があれば、その日が、西行が死を願った日なのだ・・山本健吉『定本 現代俳句』(角川書店)による)という句がある。その息子の角川春樹は「西行の庵の闇に花女郎」と言った。この他にも色々関連句があると思うが、それらの検討は今後の課題とする。
そこで、最後に私は、小倉遊亀画伯の描いた原画「爛漫」に基づく奈良女子大学講堂の緞帳の前に立って「「爛漫」や西行切に招きたし」としておきたい。
(注:小倉遊亀画伯は、奈良女子大学の前身である奈良女子高等師範学校の卒業生で、文化勲章受章者。「爛漫」は、奈良女子大学創立80周年記念に、学章の八重桜をイメージしつつ小倉画伯が描かれた伝統を意味する老木に若々しい桜花が若草山を背景に咲き誇っている画である。)