西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

「脳トレ、12歳まで」とノート取れ

2007-03-23 | 言語・字・言語遊戯
木曜日の午前に「代替セラピー論」研究会があって、私は五感の機序と根幹の触覚の話をし、ビデオも見せたのであるが、私以外のもう一人の世話人の野崎光洋先生(阪大理卒、上田篤先生と高津高校同期、滋賀医大副学長歴任、75歳)が、昨年の流行語の一つとして「脳トレ(脳のトレーニング)」があった、で、実際の脳トレーニングで効果あるのは12歳まで、それまでに大脳の発達はほぼ終わる、と言われた。小学生までである。この年齢については、『日本語はなぜ美しいのか』(黒川伊保子著、集英社新書)で黒川さんが「12歳まで日本語漬けで、英語等はその後でよい」と言っているのとピッタリ符合している。私は野崎先生に「学生にその話をした後で、脳トレは12歳まで、としっかりとノート取れ、と言ったら・・」と言っておいた。分かるかな。

「町並み的俳句群」の鑑賞

2007-03-23 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
数日前、俳句論(蕪村と芭蕉以下・・)を幾つか書いたが、本ブログではコメントゼロで一寸淋しい。別のSNSにも転載して一つのコメントを頂いた。
「蕪村と芭蕉」にしろ「西行の「花」の和歌に対する後世の俳句について(3)」にしろ、空間的、時間的パースペクティブにおいて複数の俳句を配してみて、連続性、展開性を楽しもうというのが私の意図である。まあ自分の専門に引きつけて言うと、一つの建物(俳句)を味わうだけでなく、それを含む連続した町並み(町並み的俳句群)をも味わおう、との意図である。飛び飛びの連続した風景と言うならば、芭蕉の『奥の細道』だって全体として立派な展開風景だが、私の意図は、もう少し空間的(時間的)に近接した俳句群(違う時代、違う作者を一般に想定)を群として、つながりとして味わったらどうか、ということである。どうであろうか。

事故の隠蔽

2007-03-23 | 時論、雑感
電力会社で事故隠蔽が続発している。原発の重大事故(北陸電力、東京電力・・)だけでなく、水力発電での利用水量の虚偽記載もある。電力会社は、北海道電力から九州電力まで地域独占企業である。地域の電力安定供給に責任がある。原発の場合、事故が明らかになると、安定供給の「エース」と思われている原発に「ストップ」がかかると恐れての隠蔽であろう。しかし、それでもっと大きな事故に繋がる恐れもあったのだ。原発が昼間の電力ピークに対応すると夜に出力を急に落としにくいので、夜間に電気を使わせる「圧力」が働くなど、一寸変なことにもなっている。これらをチェックするシステムを確立することは大事な上に大事である。