今日、野崎光洋先生らとの議論で、地球環境史46億年と言われている期間を1年365日に見立てると、その1秒は実際の何年に当るだろうか、ということが話題となった。先ず1年を秒で言うと、365×24×60×60=31,536,000秒となる。46億年を、この秒数で割ると、約145.865年となる。つまり地球環境史を1年に見立てると、その1年の1秒は実際の約146年に当るのだ。人間の一生を仮に100年とすると、「1年の0.685秒」に過ぎない。それは「瞬間」である。我々に連なる「新人」が生まれたのを10万年前とすると、「1年カレンダー」では12月31日の「紅白歌合戦」も終わった23時48分ころ、「行く年来る年」がテレビで始まったころである。又、広大な宇宙の中で私の占める空間量は「点」に過ぎない。時間・空間で言うと正に「瞬点」であるのだ。しかし、そういう微々たる存在が46億年の地球環境の歴史を考え、広大な宇宙の果てまで考えていることは驚異ではないか。
そこで、前に言ったような私の短歌が生まれる。
・瞬点の吾が宇宙を想う時心頭(こころあたま)の広々とする
しかし、同時に下世話な世の中では、徐々に「終点」に向かう感覚もある。で、
・「終点」へ吾が人生想う時悟りきれずにじたばたとする
というのも生まれた。この二つをセットとしておきたい。 市路
そこで、前に言ったような私の短歌が生まれる。
・瞬点の吾が宇宙を想う時心頭(こころあたま)の広々とする
しかし、同時に下世話な世の中では、徐々に「終点」に向かう感覚もある。で、
・「終点」へ吾が人生想う時悟りきれずにじたばたとする
というのも生まれた。この二つをセットとしておきたい。 市路
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