黒川伊保子さんは『日本語はなぜ美しいのか』(集英社新書)を、赤ん坊をお母さんが朝に抱き上げて朝日の中で「朝よ、おはよう」と声をかける場面から説き起こしている。私は男性、父親経験者として「ちょっとずるい、いい役回りは母親だけか」と最初思ったが良く考えてみて、赤ん坊は母親から生まれてくるので仕方がないな、と思った。しかし、言葉の発達だけでなく赤ん坊が幼児になり児童に成長するのに父親も役立ちたいと思っていると思うし、今や私は祖父として孫に対して役立ちたいと思っている。その辺を日本語の発達については、黒川さんに次の本で書いてもらおう。
で、生活空間のことを考える者として、赤ん坊にどういう空間が良いのか、常に考えている。黒川さんは「言語体感」というコンセプトを中心に置いているが、それと(母親の)意識、所作そしてそのときの情景の三つも重要としている。情景が生活空間にリンクしている。言葉については、話しかけることを「体感を与えること」と一緒に繰り返すことで実際に発達に立ち会える。で、どういう空間が良いかは、未だ物言わず、アンケートで調べることも不可能なので、どういう空間を欲しているか、は所作、情景を注意深く観察することから引き出す以外にないのである。黒川さんもご自分の体験と一人の子どもの観察から「言語体感」というコンセプトを掴んだのだ。こういうのを私は「一例調査」と言っている。一例でも普遍的法則は掴みうるのだ。私は、赤ん坊の空間として仮説的には、外部に緑の樹木が見えるべきでは・・、と言っている。これを実践しようとすると、部屋の回りを壁だらけにしてはいけないし、窓の外のベランダも外から閉じてはいけないのである。又、それが不可能でも近所の公園に抱っこで連れて行ってやるべきだ。だとしたら、地表の緑から遊離した超高層住居は論外ではないだろうか。まあ、こういう物言わぬ(実際は赤ちゃん語で言っているが・・)赤ちゃんについてはあらゆる学問はしっかりした観察をして結果を発達に役立てねばなるまい。
以前の関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/bbd2c50ea87cb81bff8ca1c46458be1d
で、生活空間のことを考える者として、赤ん坊にどういう空間が良いのか、常に考えている。黒川さんは「言語体感」というコンセプトを中心に置いているが、それと(母親の)意識、所作そしてそのときの情景の三つも重要としている。情景が生活空間にリンクしている。言葉については、話しかけることを「体感を与えること」と一緒に繰り返すことで実際に発達に立ち会える。で、どういう空間が良いかは、未だ物言わず、アンケートで調べることも不可能なので、どういう空間を欲しているか、は所作、情景を注意深く観察することから引き出す以外にないのである。黒川さんもご自分の体験と一人の子どもの観察から「言語体感」というコンセプトを掴んだのだ。こういうのを私は「一例調査」と言っている。一例でも普遍的法則は掴みうるのだ。私は、赤ん坊の空間として仮説的には、外部に緑の樹木が見えるべきでは・・、と言っている。これを実践しようとすると、部屋の回りを壁だらけにしてはいけないし、窓の外のベランダも外から閉じてはいけないのである。又、それが不可能でも近所の公園に抱っこで連れて行ってやるべきだ。だとしたら、地表の緑から遊離した超高層住居は論外ではないだろうか。まあ、こういう物言わぬ(実際は赤ちゃん語で言っているが・・)赤ちゃんについてはあらゆる学問はしっかりした観察をして結果を発達に役立てねばなるまい。
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