島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

エゾビタキ

2013-09-30 13:13:57 | 野鳥
あまり見かけないお客様が飛来しました。
旅鳥として春秋に全国に飛来する、ヒタキ科の「エゾビタキ」です。
平地から低山の樹木がまばらに生えた、見通しの良い林にいることが多く、海岸の松林や市街地の公園などにも現れます。
チョウ、ガ、アブなどの昆虫をフライングキャッチするほか、木の実も好んで食べます。
春の渡りに比べて、秋に数多く飛来するのは、食物となる木の実があるからです。
「エゾビタキ」という名前から北海道(蝦夷地)の鳥と勘違いされがちですが、実際の繁殖地は千島列島・サハリン以北です。
北=蝦夷から来る「ひたき」という意味で命名されたと思われます。


コメント (2)
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願心寺

2013-09-29 14:30:28 | 歴史・史跡

ここは北有馬町願心寺です。
願心寺は、元は有馬氏の菩提寺だった台雲寺の跡に建っています。
有馬義純の代(戦国時代から安土桃山時代)まで隆盛を誇っていましたが、天正期のキリスト教全盛期に廃絶しました。
その後、島原の乱後に幕府から派遣された鈴木重成が、多くの死者の供養と村の建て直し、人々の生活の安定を願って建立しました。
鈴木重成は、その後天草に渡り、同様に天草の住民の生活向上に努めましたが幕府に受け入れられず、自ら命を絶ったといわれます。
有馬の住民もその死を悼んで、境内の西側、有馬の町が見渡せる所に供養塔を建てています。

左の立て看板に何やら解説が書かれてあったと思うのですが、字が全部消えていて読めませんでした。
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ハナミズキ(実)

2013-09-28 16:17:28 | 植物
今年の4月18日の記事を憶えておいででしょうか?
ハナミズキの花を掲載しました。
眉山でもヤマボウシの実が見れるようになったので、あの「ハナミズキ」はそろそろ実をつけたかな?と思い確認してきました。
(翌19日の記事でも「どんな実がなるのか、再び観察に行きたい。」と書きましたし。)
へ~これが「ハナミズキの実」かぁ~。
同じミズキ科でもヤマボウシとは全然違うなあ~。
ヤマボウシはサクランボみたいに1つの実がつくのに、ハナミズキは1つの房に4つも5つも実がなるんだあ~。
面白い観察が出来ました。
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眉山登山会53

2013-09-28 15:33:51 | 眉山
午前中、「眉山登山会53」を開催しました。
今日は良い天気です。
最高の登山日和でした。
山頂からの眺めも最高です!
平成新山は勿論のこと、諌早湾の干拓堤防まで見えました。
遠方は少し曇っていましたが、もう少し視界が効けば大村湾まで見えたと思います。
植物は花が終わり、実もまだ早い時期でしたが、アオキ・ヤブランが実を受け始め、早めのヤマボウシが実を落としていました。
下山中にはタゴガエルを見つけ、捕まえて観察しました。(当然、観察後は放しました。)
来週は「九千部岳ジオ登山会」です。
三週連続イベント実施中です!
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有馬川殉教巡礼地

2013-09-26 10:37:38 | 歴史・史跡
ここは有馬川のほとりです。
有馬晴信の跡を継いだ直純は、重臣達に棄教を求めました。
しかし、従わない者たちもおり、そこでキリシタンへの見せしめのために処刑することになりました。
慶長十八年(1613年)10月7日、アドリアノ高橋主水と妻ヨハンナ、レオ林田助右衛門と妻マルタ、娘マグダレナ、息子ディエゴ、レオ武富勘右衛門と息子パウロの8人が中洲で火あぶりになりました。
マグダレナ林田は、2013年3月10日の記事にアップしています。
文化財ジオツアーで、島原のアーケードを中心に見学した時に、島原カトリック教会に像がありました。
見せしめのはずの処刑の日、2万人余りの信者が着飾って集まり、その中での殉死でした。
12歳のディエゴ林田は柱の縄が焼け落ちた時、燃えている母マルタの足元に駆け寄りました。
母は、「天を仰ぎなさい」と指して、母子ともに神を讃えながら殉死して、集まった人々に感銘を与えました。
このことがかえって人々の信仰心を強くしたとして、翌年の禁教令を発令させる誘因の1つになったといわれます。
彼らは2008年に福者に加えられ、それを記念してマカオに埋葬されていた聖骨の一部が、島原カトリック教会(島原半島殉教者記念聖堂)に祀られています。
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有馬セミナリヨ跡

2013-09-25 11:32:42 | 歴史・史跡
ピロティー文化センター(軒下)での昼食後、最初に訪れた場所は「有馬セミナリヨ跡」です。
2011年5月6日の記事で「有家セミナリヨ跡」をアップしていますが、そことは場所が違います。
ここは有馬氏によって、天正八年(1580年)初めてセミナリヨが置かれた日野江城近くです。
来日した宣教師たちが、日本での布教活動を行う上でまず考えたのが、『日本人宣教師の養成』でした。
当時の日本で、彼ら外国人は絶対に目立ったでしょう。
禁教の嵐吹き荒れる日本で布教活動を行うには、同じ日本人の方が良いと考えたのかも知れません。
セミナリヨには10歳ぐらいからの男子を集めて全寮制で、将来宣教師として必要な教育を行っていました。
卒業まで7~8年かかったといわれ、その後コレジオ(高等教育)へ進む者もいたようです。
日本で一番進んだ教育が行われた場所です。
この学院で学んだ4人(伊東マンショ、中浦ジュリアン、原マルチノ、千々石ミゲル)が、天正遣欧少年使節に選ばれています。
しかし、禁教時代には有馬ー浦上ー加津佐ー有家ー天草ー長崎などと転々として、1614年マカオ、マニラへと移転せざるを得ませんでした。
歴史を勉強していると、ちょくちょく長崎(島原半島)が時代の最新の学問を学べる場になっているような気がします。
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日野江城跡

2013-09-23 14:27:43 | 歴史・史跡
日野江城は、標高60~70メートルの丘陵上にある有馬氏の居城でした。
当時は足下まで有明海が入り込み、その海岸にそそり立つ舌状台地上に築かれていました。
築城は初代領主経澄が建保年間(1200年代)に築いたと言われていますが、山城の構造や型式から見ても南北朝時代(1300年代)以降と思われます。
宣教師の訪問記に「有馬氏の見事な館が置かれ、いくつもの部屋と戸(襖)には優雅な絵があって、広間からは海を臨むことが出来た。よく整った庭には池、さらには茶室があって・・・」と書かれ、豪華さが伺われます。

現在再び発掘調査中で、次第にその謎の部分が解明されています。
黄金を塗った棟瓦が発見されたり、城門の階段に仏石をはめ込んだり、石垣の築き方に南蛮の影響があったりと、発見が続いています。
この日野江城も原城と共に、松倉重政によって島原城が築城された時に廃城となり解体されました。
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北有馬歴史探訪~日野江城跡と八良尾キリシタン墓碑~

2013-09-22 11:15:59 | イベント
昨日は暑かった。
一度涼しくなった後、ぶり返しの暑さだったので余計に暑く感じました。
その暑さの中、1日をかけて北有馬町の史跡を巡る歴史ジオツアーを実施しました。
細かな見学内容は明日以降に順次アップしていきますが、簡単にコースだけを紹介します。
館内で事前学習を行った後にバスで北有馬まで移動し、最初に日野江城跡を見学しました。
その後、ピロティー文化センターで昼食を摂り、近くのセミナリオ跡地で講師のお話を聞きました。
そこからは少し歩いて、有馬川のほとりにある「有馬川殉教地」、からゆきさんの比翼墓がある願心寺を見て回りました。
再びバスに乗り込み、面無橋。
本当はじっくり見学したかったのですが、時間の都合上バスの中から見学し、八良尾キリシタン墓碑へ向かいました。
八良尾にも暫くの間セミナリオがおかれていたそうです。
最後は旧坂下小学校近くにある石橋「田中橋」を見学して、観察会を終了しました。
表紙の記念写真は、田中橋で撮影しました。
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出発前

2013-09-21 08:06:24 | イベント
本日は、「北有馬歴史探訪~日野江城跡と八良尾キリシタン墓碑~」の開催日です。
外は晴天に恵まれていますが、なんだか暑そう。
もうちょっと曇ってくれればよかったのに~。
雨降りよりマシか。
さあ!今日も1日頑張りますか!
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告知

2013-09-20 16:29:07 | 雑談・その他
もう広報活動も行っているので、情報解禁しても良いでしょう。
10月の当センターのイベントは、10月5日に「九千部岳ジオ登山会」を開催します。
イベント参加者のアンケートからリクエストの多かった[九千部岳登山]を実施します。
予約は明日朝9時から電話受付開始です。
今日の午前中に、下見で九千部岳に登ってきました。

私は常日頃、雲仙岳の中でも「国見岳と九千部には二度と登りたくない」と公言しています。
・・・仕事なので仕方ないです。
本番では誰か代わりに登ってくれないかな~。
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