島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

万灯山からの景色

2014-11-30 10:49:55 | 雑談・その他
「慶師野の将棋墓」を過ぎてから、万灯山を一周する道を進んでいくと、見晴らしの良い場所へ出ました。






諌早森山町の干拓された広い土地と向こうにみえる多良岳。
今年最後に見つけたお気に入りの場所かも知れません。
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慶師野の将棋墓

2014-11-30 10:02:45 | 歴史・史跡
道に迷いながら到着した「慶師野の将棋墓」です。
墓石が将棋の駒の形をしていますし、墓石の下に敷かれている石はもしかして鏡餅?
案内板を読みますと、
「この墓は、江戸時代後期に「川柳の師」と仰がれた中山五平のお墓です。
 五平の川柳の弟子にあたる柳宝庵董来(りゅうほうあんとうらい)により天保三年(1832年)9月11日に建立されました。
 墓石の裏面には、『年八拾七歳にして佛国(あの世)に満入(まんにゅう)せり、俗名 搗餅(とうへい)とて、茲(ここ)に筆を立て一句を手向(たむ)く』と記し、続いて『吹移す風やこめて立つ山家」と董来の一句がしたためてあります。
 五平は、よほどの餅好き、将棋好きの人であったと思われ、墓石の台座は重ね餅形のみかげ石で作られ、その上に将棋盤をのせたもので他に類を見ない珍しい墓であります。
2002年4月3日 諌早市教育委員会」
ああ、言われれば駒と餅の間に将棋盤があるわ。
現代でこそ、故人の好きだったものをモチーフにした珍しい墓石もありますが、江戸の時代からそれを行っている人もいたのですね。
いやあ~時代を先取っているなあ~w
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お知らせ

2014-11-29 13:47:01 | Weblog
今朝の平成新山です。
今朝の垂木台地の気温は13℃、天気は曇りです。
予報では日中に回復傾向でしたが、今はまだそれほど晴れていません。
さて、お知らせです。
来月(12月)よりブログの更新回数が減少します。
諸事情により私がセンターに出勤する日が減ります。
今日出来上がってきた勤務予定表によると、月8日の休みはそのままに、センターに出勤しない勤務日が7日増えます。
よって計15回(月の半分)更新することが出来ません。
あらかじめご了承くださいませ。
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万灯山散策

2014-11-29 11:45:23 | 雑談・その他
またもや休みの日に諌早市森山町へ行ってきました。
残りの文化財を見学してコンプリートさせようと思って。
まず最初に目指したのは慶師野(けいしの)地区にある「将棋墓」です。

ところが、のっけから矢印の方向が違った案内板が・・・、どっちやねん!
てか、どっちに行っても着けるってことか?
地図と見比べて、とりあえず近そうな下の案内板に従うことにします。
山を登り始めると、すぐに

この先、500mだそうです。
そうそう、今回は登っている山の紹介です。
名前は「万灯(ばんどう)」、慶師野地区にあります。
一番高い所でも地図に記載されたもので66mです。
どうやらぐるりと一周できそうなので歩いてみます。

標高はあまり高くありませんが、他に高い山や建物がないため、見晴らしはgoodです。w
慶師野・井牟田下名が眼下に広がります。
暫く歩いていますが、先程の案内板以降案内板がありません。

一番高い場所に出てしまったようです。
しまった、道間違った。
登ってきた道を戻って、別の道を探します。

あった、あった!
ここに目指した「将棋墓」があるようです。
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テオ・ヤンセン展を見てきました。

2014-11-27 10:39:39 | 雑談・その他
現在、長崎県立美術館にて開催中の「テオ・ヤンセン展ー砂丘の生命体ー」を見てきました。
テオ・ヤンセンさんは、オランダのキネティックアーティストです。
プラスチックチューブを連結して造作した、風を食べて動く謎の生命体「ストランドビースト」の創成から現在までの最新作が展示されています。
かなりテレビにも取り上げられているので、ご存知の方も多いと思います。
初めは“グルトン紀;粘着テープの時代”と呼ばれ、そこから結束バンドを使ったり、熱でプラスチックチューブを成形したり、ついには空気を食べる胃袋を備えたり、筋肉や脳といった感覚器を備えるようになったりと、進化しています。
ひとつひとつを細かく見ていくと、クランクやシャフト、コンプレッサーなどが使われているので、ロボット・工学に思えるのですが、素材をプラスチックチューブや粘着テープなどにこだわっているのが芸術なのかな?
それとも生物のような進化の過程が芸術なのか?
すみません、前々から申している通り、私には芸術を解する能力が欠如しています。
まあ、受け止め方は人それぞれってことで。w
12月7日(日)まで開催していますので、まだ見学されていない方は是非ご覧下さい。
表紙の写真はデモンストレーションのものです。
毎日10時30分から1時間ごとに行われていますので、そちらも併せて見ていただくと良いと思います。
私が行った時には幼稚園児が見学に来ていて、「普段は動かさないけど」と前置きがあった上で、写真の「アニマリス・プラウデンツ・ヴェーラ2世」を特別に動かしてくれました。
(作品にはそれぞれ恐竜みたいな名前がついていました。)
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土橋貞恵墓地

2014-11-25 09:51:47 | 歴史・史跡
昨日、実家へ帰る前に書いた記事です。
今日と明日はお休みで、時津に帰ってきています。

チサンC.Cをあとにして、次にやってきたのは森山東小学校の近くです。
(以前紹介したアベマキは森山西小学校です。今回は森山東小学校です。)
ここには諌早市指定史跡「土橋貞恵(つちはし ていけい)墓地」があります。
諌早市役所の前に2つの頌徳碑がありましたが、「福田渭水(2014年11月15日記事)」と並んでいたのが「土橋貞恵(つちはし ていけい)」です。

案内看板にしたがって坂道を登っていくと、山の中に入っていくようです。
親切に入口には杖も用意してあります。
地図を見る限りはそんなに距離はなさそうなので、カメラ以外ほとんど手ぶらです。
が、すぐに後悔することに。

「この急登、マジか!?」軽い登山じゃないか!
飲み物とタオルを持ってくれば良かった。
そんなこんなで汗だくになりながら、目的の場所に着きました。
「土橋貞恵翁は、安永五年(1776年)諌早市長田に生まれ、幼名を多助と呼び、『多助ぼっさん』の愛称で親しまれる郷土の先覚者であります。
 はじめ多良の金泉寺で読み書きを学び、後に佐賀の諌早屋敷に移り住み下僕(下働きの意味)となりました。何事にもまじめに立ち働いたため信用も厚く、慕われていました。
 その後、長崎の医者 吉松道碩(よしまつ どうせき)の門下に入り医術を学び、文化二年(1805年)森山杉谷の地に『永春』の名で開業しました。自らの生活は常に質素にし、貧しい患者を救い、「医は仁術なり」を地で行く慈善徳行の人でありました。医療で得た財は、石橋を架けたり、道路の改修、溜め池の築造等の社会奉仕にすべてを還元しました。
 後に諌早領主は、数々の善行に報いるため士族に列し「貞恵」の称号を授けました。

 翁自ら設計施工されたという墓所は、三段になった上段が仏の尊像、中段が土橋家の先祖高柳の祖と師匠の墓、

下段が土橋家の家族の墓となっています。

 翁の慈愛は、鳥獣にもおよび水瓶を埋め、なお鳥獣が落ちて水に溺れないよう丸石を入れてあります。
 慶応元年(1865年)5月9日、多くの人に惜しまれながら杉谷の地で没しました。(享年90歳)」
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女帝(ジョウビタキ雌)

2014-11-24 13:52:25 | 野鳥
前回の写真ではお姿が綺麗に写っていなかったので、日の本でのお姿を掲載します。
ジョウビタキは、冬鳥として全国に飛来し、厳冬期は雪の少ない地方で生活します。
田畑や林縁などの開けた場所を好み、人家の庭先にもよく姿を現します。
秋冬には雌雄ともに1羽ずつ縄張りを持ち、渡りの直後は枝先などで頻繁に尾を振り、おじぎするような仕草をしながら鳴き、縄張りを宣言します。
どうやらセンターの近くに寝床を構えているらしく、朝は事務所のシャッターを開くと同時に舞い降りてきます。
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若杉春后翁居宅跡

2014-11-24 09:46:01 | 歴史・史跡
ぐるっと上井牟田を一周したので、車で近くのゴルフ場「チサンC.C(カントリークラブ)」を目指しました。
次の文化財は、なんとゴルフ場の中にあります。
以前、森山支所を訪れた際に「この文化財を見に行く時は、ゴルフ場の方に申し出て下さい。」と言われていたので、受付にその旨を伝えます。
支配人らしき方が奥から出てきて、案内して下さいました。
というか、この史跡はゴルフ場のコースとコースの間にあって、ゴルフ素人の私には危なくてたどり着けません!
どこから球が飛んでくるのか、誰がショットを打つのか、四方八方注意しなければなりません。
文字通り『弾丸が飛び交う戦場をくぐり抜けるか如く』です。
ようやくの思いで、史跡のある林に飛び込んだのですが(表紙写真)、ここも決して安全地帯ではありません。
足元にはミスショットの球(弾丸)がゴロゴロと転がっています。

諌早市指定史跡「若杉春后(しゅんご)翁(おう)居宅跡」です。
正直、「若杉春后」と言われてもピンときません。(誰?)
「寛延三年(1750年)、佐賀本藩 鍋島宗教(むねのり)の圧政に対して、諌早藩で百姓騒動が起こりました。
※当時、諌早は佐賀藩の領地でした。
 その時、諌早藩を救い、農民を助けた義人 若杉春后翁は、この場所に居宅を構えて農民の指導にあたっておわれました。
 春后は当時すでに71歳の高齢でありましたが、儒者として信望が厚く、よくものの理をわきまえ、意思が強く、知恵がある義理堅い人であったといわれています。
 春后は一揆の指導者として磔上(たくじょう)の露と消えましたが、後に諌早義人、救世主と仰がれ、今日高城神社境内に若杉霊神として祀られています。
 わたくしたちは今日郷土の発展を見るにつけ、祖先の方々がこうまでして時の権力に反抗し、郷土の守護に当たってくださったことに心から感謝と敬意を捧げるとともに、翁居宅の跡を永遠に後世に残したいと思います。
2002年4月3日 諌早市教育委員会」
一体どういった経緯でゴルフ場の真ん中に史跡が残る羽目になったのか皆目見当もつきませんが、とても不思議な場所です。
※これを見た方で、史跡をどうしても訪れたい方は必ず“チサンC.C”に申し出て下さい。
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熊野神社(上井牟田)

2014-11-23 09:45:19 | 雑談・その他
柏原団地から、ハロウィーンのカボチャが飾られていた(散策時にはすでに撤去されていました。)横山溜池を回り込んで、椿川・川口(地名)へと進んでいきます。
地図上には「熊野神社」の名前が記されていますが、特に文化財もないので通過しようと思っていました。

ところが、この立派な石鳥居を見つけたからには立ち寄らないわけにはいきません。w
一の鳥居(?)を潜って先に進むと、

畑の間を本殿まで続くまっすぐな一本道が出迎えてくれます。

本殿入口まで着きました。
この石段を登るのですが、物凄く狭い!
つま先しか乗せられない狭さです。w

石段の上に本殿が見えました。
お参りをして、上を見ると「鈴」じゃない。

確かこれは「鰐口(わにぐち)」。
島原市の崩山観音堂に同じものがあって、そちらは島原市の指定文化財になっています。
折角なので境内を散策すると、

「諌江八十八ヶ所」の五十二番と五十三番札所?
四国の八十八ヶ所巡りが、この諌早で出来るようになっているんだ。

「諌」は諌早として、「江」ってどこだ?
との疑問を感じつつ、熊野神社を後にすることに。

帰りがこれまた良い景色でした。
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柏原古墳群

2014-11-23 07:34:27 | 歴史・史跡
話を上井牟田の文化財散策に戻します。
歴代庄屋の墓から一旦集落に戻り、広い田んぼと畑の脇を道なりに進みます。

目に見えてきたのは、柏原団地の入口です。
目指す二つ目の史跡「柏原古墳群」は団地の中にあるようです。
地図を頼りに団地の中へ入っていきますが、どうゆう理由か、この史跡だけ具体的な場所が表示されていません。
「確かこの辺りなんだけどな~?」と、不審な中年男性が団地内を歩き回ります。
「おや?」建物の向こうに見覚えのある看板が見えました。

史跡を表す看板です。
ここが「柏原古墳群」に間違いなさそうです。
「昭和56年12月、長崎県教育庁文化課の分布調査により柏原住宅北側に隣接する山林から7基の横穴式石室古墳と3基の積石塚が発見されました。
 現存する3基の古墳(横穴式石室)からは、勾玉・首飾り・鏡などが多く出土したと伝えられています。
 古墳はいずれも規模が小さく、群集していることなどから6~7世紀頃の豪族の墓と推測されます。」(諌早市の文化財より)
もっと近くで看板や、できれば古墳自体を見たかったのですが、

・・・登れない。
看板さえ何を書かれているのか、この距離では読むことも出来ませんでした。
(何のために看板建てた?)
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