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島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

南島原市深江図書館

2019-01-29 09:43:33 | 観光・施設
昨日の「諫早市たらみ図書館」と図書館繋がりで、今日は「南島原市深江図書館」をご紹介します。
長崎市の県立図書館に出掛けたり、いかに私があちこちの図書館に出掛けているか、このブログだけでも分かりますね。w
そもそも本は良く読む方なのですが、読書のための本は購入します。
どちらかと言えば郷土の調べ物があった時によく訪れています。
この日も深江漁港にあった頌徳碑について調べようと深江図書館を訪れたのですが、郷土誌に詳しい方はおられず、調べて連絡するとの事でした。
後にご連絡を頂いたのですが、役場に詳しい方がいるので、ご紹介すると・・・。
いや、別に人に会いたいわけじゃ・・・。
人見知りする性格なので、初対面の人と会わせられても困ります。
それは前回の愛野図書館でも同じでした。※2018年12月15日記事「市村英作頌徳碑(後編)」参照
『図書館なんだから本を紹介してくれよ!(心の声)』
とりあえず、紹介に関しては丁重にお断りして、頌徳碑に関しては現在保留中です。
気が向けば、もう一回調べる事になるでしょう。
さて、話はかなり脱線しましたが、この深江図書館の入口が分かりにくい。
初めて訪問したときは入口が分からずに結局諦めました。
場所は南島原市深江支所(旧深江町役場)の同じ敷地内ですが、入口が旧役場よりもかなり下(海側)、国道からも離れた場所にあります。
2つくらい段差を下らなければなりません。(地元の人じゃなきゃ分かりません。)
地元の人にとっては、海を見ながらゆっくり読書に勤しめる優雅な空間ですが、ビジターにとっては訪問しづらい場所です。
まあ、図書館本来の目的(地元の人のため)には反していないのか。
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諫早市たらみ図書館

2019-01-28 13:34:17 | 観光・施設
なごみの里運動公園など新しく埋め立てられた土地にあります。
多良見町の郷土誌は古い昭和四十六年に発行された物と新しく平成七年に発行された2つがありますが、そのどちらにも掲載されていません。
それもその筈、調べてみると多良見町の図書館の歴史は昭和52年に中央公民館に図書室として開いたのが最初で、その後平成16年に今の図書館が開館しています。
どちらも丁度郷土誌が発行された後に大きな変革が起こっているのです。(発行前だったら良かったのにね。)
表紙の写真は図書館の入口を撮影したのですが、本当の入口はもっと奥にあります。
どうもここの図書館とは相性が悪いらしく、初めて行った時は休館日、次に朝一で行った時は昼からの開館とまともに開いていた事がありません。
そんな事をしているうちに諫早市内の図書館では、私は本を借りる事が出来ないことが判明しました。
本は借りなくても、調べものに立ち寄る事はあると思うので、紹介しておきます。w
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探索失敗

2019-01-27 12:47:35 | 雑談・その他
寺社・仏閣、もしくは史跡などを探しに行く場合は、事前に下調べして行く。
今回探しに行った場所は、わりと有名そうなので大雑把に調べただけだった。
近くまで行けば、何らかの手がかりがあると思っていた。
スタート地点は多良見町大草だ。(表紙写真)
車を置いていける公園などは貴重な存在だ。
落下傘的に町歩きを楽しめる。

事前の調べによると目的地は大草小学校の横を通り過ぎて、奥に見える団地の裏側らしい。
確かこの辺りの筈、と登り上がった道はイノシシ対策の鉄柵で仕切られていた。

あれ?道は続いちゃいるが、こうもはっきりと鉄柵で仕切られては越えて行く事もできない。
登ってきた道を戻りながら、他に登れる道がないか探してみる。

眺めの良い場所までは登ってきていた。
先程とは反対に時計回りに迂回して登れそうな道を見つけたが、最近使われた形跡はない。

有名そうな所なので、山歩きの想定はしていなかった。
石垣はあるから、この上に何かしらあるのは間違いないのだが・・・。

結局迂回した道もイノシシ対策の鉄柵で先へ進めないようになっていた。
仕方なく引き返し、今日改めて調べてみると、まったく見当違いの場所を探しまわっていた事が分かった。
まあ、こんな失敗もたまには愛嬌、愛嬌。w
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化屋の弘法さん

2019-01-23 13:14:40 | 歴史・史跡
郷土誌などの歴史的な資料は図書館は貸し出してくれない。
それでも貸してくれそうな所を調べて、アタックしている。(諫早市図書館では一悶着あったがここでは伏せておく。)
多良見町の史跡・文化財の話に戻るのだが、多良見町の郷土誌は昭和46年印刷発行とかなり古くて(私が生まれる前!?)、現状と一致しない記載が多い。
今日も資料を読んでいて、「あれ?この記載はこの前撮影してきたこの事を言ってるんじゃないか!?」と気付いた。
それが郷土誌では「弘法さん(化屋)」として紹介されている。
少し話を巻き戻す。
昨年末に更新した「化屋大島石棺群」の後くらいだ。
石棺群がある辺りからまだ丘の上へ登る道が続いているのだが、見る限り新興住宅地ぽくてこれ以上の史跡があるようには見えなかった。
そこで一旦下り、反対側の丘を登る事にした。
のだが、やはりこちらも住宅地で歴史的なものは見つかりそうもなかった。
しかし、一番奥まで歩いて行くと小さな公園があった。(表紙写真)
地元住民のための公園みたいな感じで、規模もそんなに大きくない。
ところが敷地内には立派な稲荷神社が建っている。

由緒ある所か分からないが、とりあえず写真は撮っておいた。w
公園内を散策すると、稲荷神社以外にもお地蔵様を発見した。

これがその「弘法さん」だったらしい。
「大島岡上に祠る弘法大師は八十三番一の宮の分祠である。(写真の右側、白い標柱に諌江八十八ヶ所“第八十三番札所”一宮寺と書かれている。)
この岡に登る道のふもと大島庵の跡というのがある(現在もあるのか不明)が、弘法大師も昔はこの地に祠られたのを頂上に移したのである。近くは塩田地であり、海の神、竜宮をその近くに祠り小さい堂宇を構え、子供の遊び場としている。塩田地附近として集落を作った名残が見られ、喜々津川を境に阿蘇島からこの地一帯が、舟津木床に次いで文化の営みが行われた事が想像される。」
今は公園の姿だが、ひょっとすると元々ここには「一宮寺」というお寺があったのかも知れない。
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新しい動きESD

2019-01-22 14:45:29 | 雑談・その他
今回も写真はありません。
なにせインフルエンザで寝込んでいたものだから。
先週の金曜日、島原市有明町の文化会館で「ESDカリキュラム・デザイン研修会」にオブザーバーとして参加する予定だった。
見事に当日39度以上の発熱で、予定も何もすべて吹っ飛んでしまったが。
このESD、2年程前から研修会などに行かせてもらっているのだが、今もってよく分からない。
端的に言えば「『持続可能な社会』を作り出す為に、今の子供たちに教育しよう」という事らしいのだが、『持続可能な社会』って?
専門家に言わせると、私達の日々の活動が『持続可能な社会』を作り出す行動になっているそうなのだが、今までそんなこと意識した事が無い。
意識した事も無い事を何だか小難しい言葉で説明された所で、さっぱり分からない。
しかし、オブザーバーとか言う権威ある役職で呼ばれたからには「分かりません」じゃ話にならない。
そこで先日、ESDを九州で推進する団体「EPO九州」がある熊本まで行ってきたのだ。
(※1月前半の私の謎の行動がこれで理解出来たと思う。)
1時間弱ばかり話し合いを重ねて、完全に理解できたわけではないが、漠然とした不安感だけは払拭された。w
そこで得た微々たる情報と微かな自信を持って、研修会に挑もうとしたのだが!!
結果はご存知の通り、インフルエンザで欠席〜。;;オヨヨ
どんな努力も下準備も、一発レッド退場させるインフルは恐ろしい。泣笑
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人生二度目のインフルエンザ

2019-01-21 14:16:45 | 雑談・その他
タイトルのとおり、「人生二度目のインフルエンザ」を患ってしまいました。
今年の冬は暖かいので、完全に油断しました。
1日目、起きた瞬間に「あれ?体調が変だぞ。」と感じ取ったので、すぐに体温計で体温を測りました。
「36.5℃?」平熱じゃん、そんな筈は無い、もう一度測ってみよう。
「36.7℃?」気のせいだったか?
体温計に不信感を持ちつつも、平熱だった事に安堵して、お昼ご飯と買い出しに出掛ける事にしました。
ところが、買い物をしている間、ずっと調子が悪い。
しかも、段々悪化してきているような気がする。
これはマズいかもと思い、昼飯も弁当にして買い出しを切り上げました。
部屋に戻ってすぐに体温を測ると「38.5℃!?」ほらやっぱり〜。
すぐに病院へ行けば良かったのですが、出戻った後ですぐにまた外出する気にはなれず、そのまま市販の風邪薬を飲んで寝ました。
翌朝、体温は「39.5℃!!」こら、あかん。
会社に休みの電話を入れて、時間になったらかかりつけの病院に電話して。
病院からはすぐに来てと言われたので、着替えもそこそこに出掛けたのだが、案の定待たされた。
検査の結果は「A型陽性」。
何年前だか思い出せないが、人生最初のインフルエンザは丁度「タミフル」や「リレンザ」が世間を賑わせている頃だった。
『タミフル飲むのか〜』と思っていると、“吸入”で一発解決する薬があると言う。
『“吸入”って呼吸機みたいなのつけて何か吸い込むのかな?』と思い待っていると、薬局でもらって使い方を教えてもらってと言われ帰された。
へぇ〜!今のインフルエンザ薬ってこれだけか!?
インフルエンザの薬自体は、2本の吸入器だけで、それを吸い込みさえすればOK!
帰宅して、早速吸入の薬を吸ってみる。
次に大量に頂いた咳止めや解熱のお薬を喉に流し込む。
それから驚くくらいに熱が下がり始めた。
ところが、どの薬が悪かったのか、急にお腹が痛くなった。
暫く、トイレの中で七転八倒。w
その後は腹痛も治まり、熱も順調に引いて、インフルの症状はなくなってきたのだが、今もって咳だけが治まらない。
咳止めの薬だけは飲み続けているのだが、いっこうに治まる気配がないのは、もしかして咳だけ別の病気だったのか?
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雲仙の近況報告

2019-01-15 12:00:16 | 雲仙
外の話ばかりしていたので、休息がてら雲仙の近況報告をしたいと思います。
お正月前後には冷え込んで霧氷も着いていたのですが、ここ最近は気温もプラスでほとんど霧氷は見られません。
にも関わらず、天気はパッとせず、最近はずっと暗い雲に覆われています。
降水確率も20〜30%程度なのに雨が降ります。
表紙の写真は、今朝おしどりの池から撮影したのですが、仁田峠よりも上は雲の中です。

おしどりの池に行ったついでにオオバンを撮影。
ちょっとブレたな。w
カメラの調子も悪く、度々色飛びします。
一昨日、外付けHDDも壊れたな。
電源刺してもうんともすんとも言わん。

話がブレたな。
近場のコガモは撮影できるのだが、遠くのオシドリが上手く撮影できない。
今年はまだオシドリがいる。
例年なら越冬する事はないのだが、このままいけば一冬越しそうだ。
これも暖かいせいだろうか、今年はまだ一回も積雪していない。
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島の神(であろう)大神宮

2019-01-14 13:34:53 | 寺社・仏閣
話が前後して申し訳ない。
多良見町→深江町→熊本と来て、再び話は多良見町に戻る。
町内散策の折りに色々な場所を撮影して回っているのだが、それが何なのか分かるものが少なく、調べてみた結果コレだったなんてのがほとんどだ。
今回紹介する「島の神(であろう)大神宮」もその1つだ。
多良見町の図書館近くにうっそうとした森がある。
その森の中にこの大神宮が祀られていた。
神額には「大神宮」の文字しか刻まれていない。
一方、調査のために借りた「多良見町郷土誌」には大神宮の文字は出て来ない。
しかし、掲載された白黒の写真を見る限り、この「島の神」の事を言っているのだろうと思う。(括弧書きの「であろう」は確信がないため。)

「島の神(木床)
 元釜島が大村湾に面する5、6mの岸上に『島の神』の境内があり、石造り神殿に『とき明和元年』(1764年)とだけ刻まれている。ここは昔はこの島(地続きの丘)の南手に住む蔭山氏が一手で祭っていたのを今は全体の祭りとされたという。
 境内の石灯ろ竿石(?)には安永五年(1776年)六月吉祥日の年号があり、蔭山氏の隆盛時代を物語っているが、蔭山氏の先祖は昔は当地方では富豪家で上方詣り(伊勢大神宮参拝をいった)を宝暦年間に三度もしたと伝えている。」
この後ろにも解説文は続くが、島の神とは何ら関係がない。
解説文も何を説明したいのかよく分からない。
私の浅学故に分からないのであろうが、多分これ以上掘っても何も出て来ないと思う。
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復興中の熊本城を見学

2019-01-13 13:56:27 | 歴史・史跡
熊本での用事を終えようとすると、先方から「熊本城の復興も見て行って下さい。大型クレーンと熊本城が並んで見える姿は“サイバーパンク”の世界みたいですよ。」と誘われた。
まったくその気はなかったが、そう言われると行ってみようかとなるから不思議だ。w
お昼の時間が近く、お腹も減ってきてはいたが、熊本城をぐるりと一周する位なら時間もあるだろうと、自然に足は熊本城に向いた。
現在の熊本城は正面から入れず、ぐるりと回って加藤神社側から見学が出来るらしい。
熊本城の見学は震災前の2015年に来た事がある。
(その時の記事を調べようとしたが、2015年3月30日の「高森町紀行—高森殿の杉」の一文、「この後、宿まで走り、一泊して翌日熊本城を観光しました。」でさらりとほとんど触れずに終わっていました。w)
駐車場側に古びたお土産屋さんがあったのだが、建物が新しく綺麗になっていた。
その入口には熊本出身の漫画家の作品「ワンピース」と「ケロロ軍曹」が並んで出迎えてくれた。(表紙写真)
いよいよ熊本城内に入って行くと、崩れた城壁が目についた。

うへぇ〜、すげーな。
他に言葉が出て来ない。
島原城の城壁が崩れた時もそうだったのだが、こういう城壁の修復は大変だ。
崩れる前の写真などから画像処理してどの石がどこに組み込まれていたのか調べてナンバリングし、それを元にパズルみたいに組み立てていかなければならないのだから。

転がってナンバリングされた石だけでももの凄い数だ。
それ以外の土砂に関しては望外だろう。

一応区切られてはいるのだが、その崩れた城壁のそばで園児たちが楽しそうに遊んでいる。
園児たちにとってはこの崩れた城壁の姿が当たり前の光景なのだろう。
大きくなって復旧した熊本城を見て、こんな姿は熊本城ではない、なんて思ってくれなければ良いが。

教えられた加藤神社へ入ってきた。
お城と近代建築のクレーン、なるほどサイバーパンクな世界観だ。(嫌いじゃないw)
震災前に見学していた事もあってなかなか土地勘もある。
確かこの辺で震災後の中継やってたな、と思いつつ見学していた城壁。

大きな場所はともかく、こんな小さな崩壊は手つかずの状態だ。
修復の手がここまで及ぶのにあと何年かかることだろう。
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九商フェリー専用無料シャトルバス

2019-01-12 13:02:04 | 観光・施設
情報が後手に回っています、すみません。
本日(1月12日)まで島原外港と熊本新港をつなぐ「オーシャンアロー」が運休しています。
先日、熊本に行く用事があったのでもう1つのフェリー会社さん“九商フェリー”を使いました。
すると、熊本新港と熊本駅を送り迎えしてくれる無料のシャトルバスがある事を知りました。(表紙写真)
勿論、事前予約制ではありますが、非常に助かりました。
熊本新港は、熊本市でもかなり離れた場所にあるので、フェリーで港に着いても市街地までの交通手段が公共バスしかありません。
しかもバスの運営会社は九産交なので、同じ熊本に本社のある熊本フェリー(オーシャンアロー)との連結は出来ていても、九商フェリーを使った場合は非常に長い時間待たされます。
それが待つ事無く、しかもフェリーの乗船代だけで熊本駅まで連れて行ってくれるのです!
難を言えば、「事前予約制」ってとこですかね。
行く時間は決められても、帰りの時間は立てられませんからね。
自分1人の予定だけならばともかく、相手があっての用事ですから、その日中に帰ることは決まっていても、何時に帰られるかは分かりません。
一応、予約の際にその旨伝えておいて、空席があれば飛び込み乗車可能ということで手を打ちました。
もう帰りはドキドキでしたね。w
果たして空席はあるだろうか? 乗れなかったら路線バスで熊本新港まで行って長い時間待ってなきゃならないのか?
なんとか無事空席があって、飛び込み乗車できました。
熊本駅での発着場が新幹線口になっていた事が驚きでしたが、熊本駅に着いて納得しました。
久しぶりに行った熊本駅は新幹線口側がメインになって、前回訪れた時にメインだった在来線口は建物の工事で閉鎖されていました。
時間の流れを実感する〜。w
新幹線口側のすぐ駅構外は昔ながらの住宅地って感じで、おそらく住民の方々はこんな栄えた場所になるなんて思っても見なかっただろうな〜なんて想像してしまいました。(これだけ栄えれば宅地としての土地の価値もぐんと上がったろうなとも。w)
そんなこんなで久しぶりの熊本行きから帰ってきました。(勿論、用事も無事に済ませました。)
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