本日の平成新山です。
垂木台地の今朝の気温は17℃、あと3日で12月とは思えない陽気です。
初冠雪日の予想クイズを実施していますが、雪は降るのか?の問いに変えましょうか。w
こうなってくると、今朝の事務所で出た話題は「いつ冬タイヤに交換するか?」
早過ぎてもタイヤが磨り減るだけだし、遅過ぎるといざという時身動きが取れなくなります。
雲仙勤務、もしくは私のように雲仙在住島原勤務の者には深刻な問題です。
とはいえ私個人に限っては、すでに冬タイヤに交換していますが。
天草に講習を受けに行く前に「万一、講習に行っている間に雪が降ったら帰れなくなる。」ことを危惧して、早めの交換を行いました。
おかげで今は磨り減りの方が気になります。
さあ、写真の平成新山はいつ雪化粧を施すでしょうか?
垂木台地の今朝の気温は17℃、あと3日で12月とは思えない陽気です。
初冠雪日の予想クイズを実施していますが、雪は降るのか?の問いに変えましょうか。w
こうなってくると、今朝の事務所で出た話題は「いつ冬タイヤに交換するか?」
早過ぎてもタイヤが磨り減るだけだし、遅過ぎるといざという時身動きが取れなくなります。
雲仙勤務、もしくは私のように雲仙在住島原勤務の者には深刻な問題です。
とはいえ私個人に限っては、すでに冬タイヤに交換していますが。
天草に講習を受けに行く前に「万一、講習に行っている間に雪が降ったら帰れなくなる。」ことを危惧して、早めの交換を行いました。
おかげで今は磨り減りの方が気になります。
さあ、写真の平成新山はいつ雪化粧を施すでしょうか?
「歴史じおさらく~有家編~」で訪れた場所です。
下見の時にいくら探しても見つかりませんでした。
そりゃ~こんな街角にシレッと建たれりゃー見落としますわ。
おまけにこの背中側にやたらと目立つお地蔵さんが建ってて、そっちに目を奪われていました。
これは「鷲ヶ浜関碑」といい、郷土が生んだスーパーマン“鷲ヶ浜音右衛門”の墓です。
鷲ヶ浜音右衛門は、江戸~明治時代に江戸で活躍した力士です。
関脇まで進み、文久2年(1862年)に帰郷興行を行い、藩主から22両の俸禄を頂いたとあります。
そう言えば、町は違いますが同じ南島原市出身の“佐田の富士”が九州場所で勝ち越したと昨日のニュースで流れていました。
地元出身のスポーツ選手は手放しで応援してしまいますね。
下見の時にいくら探しても見つかりませんでした。
そりゃ~こんな街角にシレッと建たれりゃー見落としますわ。
おまけにこの背中側にやたらと目立つお地蔵さんが建ってて、そっちに目を奪われていました。
これは「鷲ヶ浜関碑」といい、郷土が生んだスーパーマン“鷲ヶ浜音右衛門”の墓です。
鷲ヶ浜音右衛門は、江戸~明治時代に江戸で活躍した力士です。
関脇まで進み、文久2年(1862年)に帰郷興行を行い、藩主から22両の俸禄を頂いたとあります。
そう言えば、町は違いますが同じ南島原市出身の“佐田の富士”が九州場所で勝ち越したと昨日のニュースで流れていました。
地元出身のスポーツ選手は手放しで応援してしまいますね。
えーと41回が雨で流れたから42回目だな。
午前中に「眉山登山会42」を実施しました。
先月雨天中止になった分、今回は天気に恵まれました。
阿蘇山までは無理でしたが、対岸の熊本の街並みまで見ることが出来ました。
植物もそれほど多くありませんでしたが、冬鳥が渡ってきていました。
今回の眉山登山で、雲仙お山の情報館と当センターで実施している「雲仙岳スタンプラリー(十山登山)」の十山達成者がおられ、朝から表彰式を行いました。
おめでとうございます!
本来なら今年の眉山登山は終了なのですが、今年はまだ1回しか(今回で2回目)登山会を実施していないので、急遽12月にも登山会を実施することになりました。
12月18日(日)予定ですので、よろしければご参加下さい。
(詳細はホームページにて)
午前中に「眉山登山会42」を実施しました。
先月雨天中止になった分、今回は天気に恵まれました。
阿蘇山までは無理でしたが、対岸の熊本の街並みまで見ることが出来ました。
植物もそれほど多くありませんでしたが、冬鳥が渡ってきていました。
今回の眉山登山で、雲仙お山の情報館と当センターで実施している「雲仙岳スタンプラリー(十山登山)」の十山達成者がおられ、朝から表彰式を行いました。
おめでとうございます!
本来なら今年の眉山登山は終了なのですが、今年はまだ1回しか(今回で2回目)登山会を実施していないので、急遽12月にも登山会を実施することになりました。
12月18日(日)予定ですので、よろしければご参加下さい。
(詳細はホームページにて)
さて、これも分類に困りましたが、所在地ということで“南島原”にしました。
有家町と西有家町を分ける有家川に架かる「岩淵橋」です。
今年の5月に有家の史跡などをこのブログでご紹介していますが、言ってしまえば今月実施した「歴史じおさらく~有家編~」の完全な下調べです。
まあ~今後どんなイベントを考えているかは、このブログを見ていればネタがバレるってなもんです。w
それは置いといて、その下調べでも引っかからなかった、ジオツアー本番で初めて訪れた場所です。
有家川は大河で、ここで18間(35メートル)もあって、当時の技術では強固な架橋は無理でした。
そのため、潜水橋として作られた橋です。
ここに安永九年(1780年)、隈田村の豪農 尾崎本家が石橋を架けました。
藩主はそれを褒めて米15俵を賜りました。
しかし、2年後には流されてしまったということです。
以後、また木の橋に戻ったようで、架けては流されての歴史の繰り返しでした。
今現在は、上流と下流にコンクリート製の立派な橋が架けられていますが、この橋の元には「この橋は、大雨時に渡るのは大変危険です。十分にご注意ください。」の看板が立てられています。
この川の上流には、鮎帰りの滝があり、さらに上流は雲仙です。
写真の奥には雲仙の山々、普賢岳・平成新山は雲の中です。
有家町と西有家町を分ける有家川に架かる「岩淵橋」です。
今年の5月に有家の史跡などをこのブログでご紹介していますが、言ってしまえば今月実施した「歴史じおさらく~有家編~」の完全な下調べです。
まあ~今後どんなイベントを考えているかは、このブログを見ていればネタがバレるってなもんです。w
それは置いといて、その下調べでも引っかからなかった、ジオツアー本番で初めて訪れた場所です。
有家川は大河で、ここで18間(35メートル)もあって、当時の技術では強固な架橋は無理でした。
そのため、潜水橋として作られた橋です。
ここに安永九年(1780年)、隈田村の豪農 尾崎本家が石橋を架けました。
藩主はそれを褒めて米15俵を賜りました。
しかし、2年後には流されてしまったということです。
以後、また木の橋に戻ったようで、架けては流されての歴史の繰り返しでした。
今現在は、上流と下流にコンクリート製の立派な橋が架けられていますが、この橋の元には「この橋は、大雨時に渡るのは大変危険です。十分にご注意ください。」の看板が立てられています。
この川の上流には、鮎帰りの滝があり、さらに上流は雲仙です。
写真の奥には雲仙の山々、普賢岳・平成新山は雲の中です。