島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

神話の里⑪天真名井と夜泣き石

2016-12-29 14:11:35 | 民話・伝承
写真撮影失敗した〜><
「天真名井(あめのまない)」は、写真に映っているケヤキの老木の根もとから湧いている水だった〜。
「天然の湧水で天孫降臨の時、この地に水がなかったため、ニニギノミコトがアメノムラクモノミコトに命じて再び天上に上がられ、高天原の水の種を移されたと伝えられる。現在でも天真名井には水が湧き続け、地下を通り、真名井の滝や玉垂れの滝となっている。」
さて、天真名井の近くにガイドマップには載っていなかったが「夜泣き石」なるものを見つけた。

「古くは天真名井の下を流れる神代川の清流にあり、村に災いがある時は、石が夜にうごめいて知らせたことから“夜泣き石”と言われています。
 伝説ではニニギノミコトの子供を宿したコノハナサクヤヒメが、あまりの難産にこの石に抱きついてお産をされたとも言われ、豊玉姫・玉依姫のお産伝説もあるようです。
 また、夜泣きの激しい赤ん坊は、この石に触ると泣き止むとも言われ、昔は子供を抱いた若嫁の姿をよく見かけたそうです。」
さて、時間軸ではお昼の時間になったので、この後昼食を食べに行きました。

現在の時間に戻りまして、ブログの更新は本日までとなりそうです。
明日は一日お休みがありまして、明後日は駐車場勤務となっております。
来年は元日が再び駐車場勤務のようなので、2日以降からの再開となりそうです。
2016年も色々とありましたが、一年間お付き合い頂きまして ありがとうございました。
また2017年もよろしくお願い致します。
それでは皆様、良いお年を〜 ノシ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神話の里⑩荒立神社

2016-12-29 12:45:14 | 寺社・仏閣
くしふる神社と高天原遥拝所から少し離れてはいますが、歩いて行けそうな距離だった「荒立神社」に来ました。
表紙写真はまだ入口です。w
ここから登りで数分の距離に荒立神社があります。
さすがに有名所なのか、それとも時間がお昼近くになってきたせいか、他の観光客の姿も見えるようになってきました。

「天孫降臨の道案内役を務めたサルタヒコノミコトと天岩戸神話で踊ったアメノウズメノミコトが結婚することになり、周りにあった荒木で、急いでお宮を建立したため、荒立神社といわれています。」
他にも解説板には色々と書かれているのですが、難しくて分からない。
とりあえず理解できた文だけ記載しています。w

境内はこんな感じ。
ガイドブックによると「芸能の神様として知られ、氷川きよしをはじめ芸能人らが多数参拝」しているそうだ。
よし、来年は芸能人目指してみるか?w
他にも“交通安全・縁結び・商売繁盛・厄除け”などのご利益があるとのこと。
どれか一つでもご利益がありますように。(ー人ー)参拝。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神話の里⑨四皇子峯

2016-12-28 13:15:08 | 民話・伝承
高天原遥拝所を去ろうと振り返ると、突然カラスが鳴き始めた。
吃驚して林の中を探すと、目線の高さの枝に一羽のカラスが留っていた。

しきりに鳴いているが、何をしたいのか分からない。
もしかすると天からの使いだったのかも知れないが、高千穂から帰って来て一ヶ月、何も変わった事は起きていない。w
山中を歩いて、表紙写真の場所に出た。
ここが「四皇子峯(しおうじがみね)」だ。
「鵜戸神宮で誕生したウガヤフキアエズノミコトはタマヨリヒメと結婚され、ヒコイツセノミコト、イナヒノミコト、ミケイリノミコト、カムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)の四皇子がお生まれになった所と伝えられています。
 その後幼少期を高千穂で過ごして自然の中でたくましく成長した神武天皇は、美々津の港から東へ旅立ち、大和の国を天下統一の地と定め、天皇を称するようになりました。」
日本の天皇が誕生した土地だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神話の里⑧高天原遥拝所

2016-12-28 09:56:21 | 民話・伝承
風土記・万葉の丘を離れ、ぐるりと遊歩道を歩いて行く。
まわりの景色は木々に覆われ見えないが、よく観察するとほとんどが植林だ。
神話にまつわる土地だけに自然林が残されているのかと思ったが、意外なほど人の植えたスギ・ヒノキがまわりを囲っている。
足元にはフユイチゴの実がなっていた。

そんな観察をしながら歩いていると、目的の場所に着いた。
「高天原遥拝所」だ。

昨日も書きましたが、「高天原から降臨された神々が天を懐かしみ、遥拝された所と伝えられています。
 天と地を結ぶパワースポットといわれます。」
パワースポットかどうかは私には霊感がないので分からないが、なんだか近寄り難い雰囲気に押され、これより中には入れなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神話の里-番外編③風土記・万葉の丘

2016-12-27 13:11:08 | 歴史・史跡
くしふる神社(社殿を含めた)の山体には色々な史跡がある。
とりあえず、天孫降臨された神々が天を懐かしみ遥拝した所といわれる「高天原遥拝所」を探して回る。
中腹に小高い丘を見つけたが、どうやらここではないらしい。

「風土記・万葉の丘」と名付けられた場所のようだ。
解説板の最初の書き出しが良かったので記しておく。
「皇祖発祥の地と伝えられる高千穂の地は日本国民の心のふるさとです。
 天孫降臨は一つの神話ですが、上代の歴史は洋の東西を問わず、神話の形式で伝えられています。
 神話は民俗を特色づける祖先の遺産であり、国の背景を形成する大きな要素とも言えます。」
なるほどねぇ〜。
同じ場所に「高千穂顕彰碑」(写真奥)や川田順歌碑、梅原猛氏植樹木があります。(一つ一つの紹介は長くなるので割愛します。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神話の里⑦槵觸神社

2016-12-27 10:18:55 | 寺社・仏閣
高千穂神社から移動してきました。
お次は「槵觸(くしふる)神社」です。(・・・?キーボードで「くしふる」の平仮名入力が出来ない?何故だ?※「く・し・ふ・る」と一字ずつ入力している。)
「天孫ニニギノミコトの天降りとして古事記に『筑紫の日向の高千穂の久士布流多氣(くしふるたけ)に天降りまさしめき』とあり、日本書紀の一書にも『日向の高千穂の槵觸峯に致します』と記されています。」

「住古は峯そのものを御神体としてお祀りしていました。」
“元禄元年(1688年)に延岡藩主 有馬清純が社殿建築を許可しましたが、清純候は元禄五年に越前糸魚川へ転封となり、着手にいたらず、次の藩主 三浦壱岐守明治敬の時、十社宮(高千穂神社)大宮司田尻乗信の願いにより、元禄七年(1694年)6月15日に造営遷宮されています。”

「ニニギノミコトをはじめ、降臨に随行された神々や国譲りで活躍された神々がお祀りされています。」
ここに至る前に立ち寄った観光協会で、「槵觸神社周辺の神話史跡散策案内図」を手に入れています。
お昼前に周辺一帯を散策します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神話の里⑥鬼八塚

2016-12-26 16:29:13 | 民話・伝承
やっと「鬼八退治伝説」の話ができる。w
街中を歩いていると「鬼八塚」の案内板が出て来た。(表紙写真)
角を曲がるが、おや?

「鬼八塚」はどこだ?
実は写真の中にすでに映っています。
写真中央より少し左の小さな林の中に「鬼八塚」がありました。

「神武天皇の兄・ミケイリノミコトは、神武建国の途中で、もとの国高千穂に御帰還され、あららぎの里に宮居を定め住まわれた。
 その頃、二上山の乳ヶ窟に住む鬼八という鬼が里で悪行を働き、祖母岳明神の娘・鵜ノ目姫を奪い鬼が窟に隠していた。
 ミコトが御塩井を歩いている時、鵜ノ目姫に会われ、姫の願いにより鬼八を退治されました。
 鬼八の死骸は八尺の石で押さえて土に埋めたが魔力を持つ鬼八は再び生き返りました。
 そのためミコトは身体を三つに切り、三カ所に分けて埋めました。
 この場所は首塚と伝えられています。
 荒ぶる神鬼八は霜宮といい、寒霜を司ったので、今では農耕や厄除けの神として尊敬され、日向・肥後地方の里人の信仰を集めております。
 昔から鬼八荒神の霊を慰めるため毎年十六歳の少女が人身御供として捧げられていましたが、天正年間岩井川の城主甲斐宗摂の進言により、初狩りのイノシシ一頭、米飯三石三斗三升三合が代わりに供えられて以来、この神事は高千穂神社の「猪掛祭」として現在も伝えられています。」
ちなみに胴はここから300mほど離れた所に、手足は道の駅高千穂の近くの淡路城跡に祭られています。
高千穂峡で見たかった物は、この鬼八が力自慢のために投げたといわれる約200tの大石「鬼八の力石」でした。
ん〜見られなくて残念。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神話の里⑤高千穂町内

2016-12-25 10:07:36 | 観光・施設
高千穂峡を脱出できた、高千穂大橋から下を覗き込んでみる。(表紙写真)
真下に見える橋が神橋で、奥が高千穂峡に繋がっている。
なんとか高千穂神社に帰って来たが、まだ午前中だ。w
お昼を食べるのもまだ早い。
とりあえず街中の散策も兼ね、イラストマップに変わるマップを手に入れるため観光協会を目指す!

しかし、高千穂町内には神話の登場人物や神楽にまつわる像が多いなあ〜。
写真の像は解説板には「彦舞」と書かれていたが、「サルタヒコノミコト」らしい。

こちらはスーパーの駐車場近くにあったが、「コノハナサクヤヒメ」だ。
街中を見学しながら、高千穂町観光協会を見つけた。(写真撮り忘れました。)
この後訪ねようと思っていた荒立神社や槵觸(くしふる)神社を尋ねると、手持ちのイラストマップとは違うマップを頂いた。
こちらもイラストだったが、手持ちよりは断然分かりやすい。w

昨日までは観光客が溢れていたが、平日の昼間とあって閑散としている。
昨日も平日だったのだが、この差はなんだろう?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高千穂峡-番外編③高千穂峡脱出

2016-12-25 09:19:31 | 雑談・その他
表紙の写真を使って、現在地を説明しておきます。
写真の撮影場所から赤い矢印の神橋に向って歩きました。
神橋の左側に着いたので、橋を渡りましたが通行止めになっていました。(昨日のブログ)
仕方がないので、神橋を引き返します。

困ったのは、このまま車道を歩いてもぐるりと遠回りをしなきゃ高千穂神社に帰れないという事です。
イラストマップとにらめっこをして、新しいルートを考えました。

どうやらこの階段を登れば、上の(青い矢印)高千穂大橋の袂に着きそうだ。
しかし、えらい高低差だ。
5分間の階段登りに耐え、ようやく道に出ました。

この辺りは大橋駐車場というらしい。
写真の奥に見えているのが(白い矢印)「神都高千穂大橋」だ。
とりあえず振り返れば高千穂大橋を通って、高千穂神社に帰れる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霧氷2016-2

2016-12-24 13:20:44 | 雲仙
高千穂の話がまだ終わらない。
そろそろ高千穂峡を脱けそうだが、その時点でもまだ2日目のお昼が終わっていない。w
これは年内いっぱい高千穂の話になりそうだ。

さて、高千穂の話ばかりもしていられないので、雲仙に戻ります。
今朝、雲仙ロープウェイさんから「妙見岳に霧氷が着いている」との連絡を受け、早速霧氷の撮影に行ってきました。
表紙の写真は雲仙ゴルフ場の駐車場から見た妙見岳です。
アングルには入っていませんが、野岳辺りまで霧氷がついています。

仁田峠循環道路を登ってくると、第二展望所あたりから積雪が見られました。
「昨日、雪降ったもんなあ〜」
昨日は事務所勤務の予定だったのですが、ある理由によって駐車場勤務にまわり、ブログの更新が出来ませんでした。

まあ、それは置いといて、第二展望所からの眺めです。
平成新山には冠雪が見られます。

仁田峠で霧氷と言える、立派な霧氷を見つけました。
風上の方向に薄く透けた氷の刃です。

仁田峠から見上げた妙見岳。
雲仙ロープウェイで妙見岳に登ります。
仁田峠まで車で来る事が出来るので、観光のお客様が多いです。

雲仙ロープウェイ妙見駅舎上にある展望所。
辺りは雪で一面真っ白です。

普賢岳と平成新山。
平成新山の山頂部は雲に隠れています。

妙見神社前の霧氷のトンネル。
空が曇っているので、前回のような“蒼天に霧氷”の撮影ができません。

降雪も多かったようなので、どちらかと言えば樹氷も多く見られました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする