島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

有馬セミナリヨ跡

2013-09-25 11:32:42 | 歴史・史跡
ピロティー文化センター(軒下)での昼食後、最初に訪れた場所は「有馬セミナリヨ跡」です。
2011年5月6日の記事で「有家セミナリヨ跡」をアップしていますが、そことは場所が違います。
ここは有馬氏によって、天正八年(1580年)初めてセミナリヨが置かれた日野江城近くです。
来日した宣教師たちが、日本での布教活動を行う上でまず考えたのが、『日本人宣教師の養成』でした。
当時の日本で、彼ら外国人は絶対に目立ったでしょう。
禁教の嵐吹き荒れる日本で布教活動を行うには、同じ日本人の方が良いと考えたのかも知れません。
セミナリヨには10歳ぐらいからの男子を集めて全寮制で、将来宣教師として必要な教育を行っていました。
卒業まで7~8年かかったといわれ、その後コレジオ(高等教育)へ進む者もいたようです。
日本で一番進んだ教育が行われた場所です。
この学院で学んだ4人(伊東マンショ、中浦ジュリアン、原マルチノ、千々石ミゲル)が、天正遣欧少年使節に選ばれています。
しかし、禁教時代には有馬ー浦上ー加津佐ー有家ー天草ー長崎などと転々として、1614年マカオ、マニラへと移転せざるを得ませんでした。
歴史を勉強していると、ちょくちょく長崎(島原半島)が時代の最新の学問を学べる場になっているような気がします。
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