島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

有明町大三東八幡神社

2024-02-11 10:32:51 | 寺社・仏閣
 本来の予定では、有明町大三東の温泉神社(薬師稲荷神社)で観察会は終了でした。 しかし、まだ時間があるという事でセンターへの帰り道に近くの八幡神社へ立ち寄りました。
 有明温泉神社もこの八幡神社も、今回の観察会で初めて訪問しました。
 普通神社は神様がいらっしゃる所なので、有明温泉神社のように急な石段を登った高い場所にあります。
 ここは珍しく参道を下って参拝する「下り宮」になっています。

 拝殿はこのようになっています。
 左の摂社は「高岩神社」と書かれています。 これも珍しい。
 雲仙の高岩山と関係する神社です。
 境内には馬の像があります。 ここの「神使」は馬です。 拝殿の中を拝見しましたが、立派な絵馬(文字通り馬の絵)が飾られていました。
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有明町大三東有明温泉神社(薬師稲荷神社)3

2024-02-10 10:43:14 | 寺社・仏閣
 ここは境内にあるものも面白かったです。
 猿田彦の石碑はたくさんありますが、その中に混じってトリ(鶏)の石造物がありました。 先生の見解では、昔ニワトリを「神使」として奉納していた神様が祀られていたのでは、と。
 一つ頭の馬頭観音。 馬頭観音は三面六臂(3つの顔と6本の腕)で頭頂に馬冠をいただいているものがよく見られますが、たまに像のような一面二臂の姿もあるようです。
 割れた「四面大明(神)」の扁額がありました。 ここが紛れもなく温泉神社(四面宮)であることを示しています。
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有明町大三東有明温泉神社(薬師稲荷神社)2

2024-02-10 10:15:46 | 寺社・仏閣
 境内の左には朱色の鳥居が並び、薬師稲荷神社が祀られています。
 京都の伏見稲荷神社から元治元年(1864年)十二月に分霊されたものです。
 ここは温泉神さま、お稲荷さん、薬師如来の三つのご利益が適う、欲張りな神社です。
 拝殿の前には二対の狛犬さんが並んでいます。
 手前にある新しいものは「岡崎現在型狛犬」と言われる、今現在オーソドックスなタイプの狛犬です。
 右の阿像は、運気が回るように足元に玉を転がし、
 左の吽像は子獅子と戯れ、子孫繁栄を表しています。 奥にある吽像は猛嶋神社で見たものと同じく、頭頂に角があります。
 さらに拝殿の扉を開けて中を覗かせてもらうと、
ご神殿の手前に一対の狛犬さんが置かれています。(遠くてズーム撮影するとブレるので黄色い矢印で示しました。)
 ここに位置してご神殿をお守りするのが、狛犬さんの本来のお役目です。
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有明町大三東有明温泉神社(薬師稲荷神社)1

2024-02-10 09:50:36 | 寺社・仏閣
24.2.10(土) 天気;晴れ 気温;2℃
 杉山町の温泉熊野神社を後にしまして、有明町大三東にある有明温泉神社(薬師稲荷神社)に来ました。
 ここも結構面白いものがたくさんありましたので、分けて紹介します。
 まず入り口に着いて目に入ったのが、
石灯籠の上の鯱(シャチホコ)です。 最初の天満神社では片方が逆立ちした狛犬が石灯籠の上にいましたが、ここでは鯱ですか〜。w
 入り口からは、かなり急な石段を登ります。 七十二段あります。
 石段を登り上がると、
 今までとは違った独特なデザインの狛犬さんが待っていました。 風化してすり減った感じがかなりの古さを醸し出しています。このタイプを「肥前狛犬」と言うそうです。
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弁天町霊丘神社

2024-02-09 12:16:07 | 寺社・仏閣
24.2.9(金) 天気;晴れ 気温;4℃
 またネットに繋がらないことをいいことにサボってました。w とはいえ、ちゃんと昨日神社撮影に行ってきました。

 まずはすっ飛ばしていた「霊丘神社」から。
 前々から疑問に思っていたのですが、国道側から入って行くと何故か神社の側面に出てきます。(表紙画像) 正解かどうか分かりませんが、昨日ふと「方角が関係あるのか!?」と思いつきました。
 本殿に向かって立つと、正面が北、背中が南、左手(国道側)が西、右手(海側)が東になります。 重ねて言いますが正解かどうかは分かりません。 が、なんとなくそれっぽい理由のような気がします。
 過去に一度紹介しています。(2010年1月15日記事) 今読み返してみると、その時は何の知識もなかった事が分かります。
 今回はもう少し詳しく紹介しましょう。(先生の解説もあったことですし)
 「最初は猛島の祀られていて、松倉重政公のおりは、鷹島(猛島)を中心に、左に愛宕、右に東照宮と三社並べて立てていた(猛島神社記) 高力氏二代目高力隆長が、島原の乱後に民心鎮定祈願のため、明暦二年(1656年)に現在地に遷した。 寛文九年(1669年)深溝松平氏六代(島原松平氏初代)忠房が藩主として入府し、東照宮への崇敬厚く、社殿等の改築を行った。 現在の社号になったのは明治十五年(1882年)で、この時始祖忠定公以下、忠房公まで六代が祀られ、併せて森岳城(島原城)にあった潜龍園稲荷神社や松島神社その他が合祀された。」(分かる!理解できるぞ〜!w)
 摂社にはこのような神社もありました。
 「蚕霊神社」・・・養蚕、蚕をお祀りしている神社です。
 霊丘神社でもう一つ紹介したいものがあるのですが、長くなりそうなので分けます。 次の記事に続きます。
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杉山町温泉熊野神社

2024-02-03 11:01:10 | 寺社・仏閣
24.2.3(土)
 うわっ! 昨日霊丘神社の写真撮影に行くの忘れてた! 今思い出した!

 引き続き神社紹介です。
 猛嶋神社を出発する時に、島原半島北側に虹がかかっているのが見えました。 遠目でも雨が降っているのが分かります。 「これから雨に向かって進まなきゃいけないのか〜」と憂鬱になります。
 杉山町の温泉熊野神社です。 ここは何度か訪れた事があります。 (2009年が初出かな?「熊野神社とマー坊蛙」 この時は何も分かっていない事が文面から分かります。)
 「温泉」とついていることから雲仙の温泉神社の分社と分かります。 「熊野」は熊野古道で有名な和歌山県の熊野大社から、年代は分かりませんが分霊を合祀しています。
 こちらで目を引いたのは、緻密な彫刻でした。
 拝殿は大きくて近寄れませんでしたが、傍に建つ摂社だと目の前に精巧な彫刻を見る事ができます。
 鳳凰?鶴?、龍、象?漠かも知れません。(分かってないじゃんw)
 境内には県指定の天然記念物の「大楠」「大椋」があります。
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宮の町猛嶋神社

2024-01-31 13:39:52 | 寺社・仏閣
24.1.31(水) 天気;雨後曇り 気温;10℃
 午前中ネットに繋がりませんでした。
 神社紹介を続けます。 次に霊丘神社に行ったのですが、使える写真を撮影していませんでした。 改めて撮影してきますので、後回しにします。
 本来なら霊丘神社でお昼の予定だったのですが、雨が降り始めないうちに出来るだけ先に進めようと猛嶋神社に来ました。
 猛嶋神社で見るべき場所はまずこちら!
 入口の鳥居の横に建っている石碑です。 ここには「総社 猛島神社」と書いています。 「島」の文字が現代のものになっていますが、旧字体でもどちらでも良いそうです。 そこではなく「総社」の方ですね。
 ここでの「総社」とは「島原半島の総社」という意味で、島原半島内にある数多の神社の総まとめです。 つまり、ここを詣でれば島原半島全部の神社を詣でた事になるのです。
 うん? ・・・って事は今回の観察会で何社もまわっているのは意味がない!? ちょっとショックを受けつつ話を続けます。
 境内に入りますと、大きめの狛犬があります。 狛犬は左側の口を閉じているのが「吽(うん)像」(狛犬)、右側の口を開いているのが「阿(あ)像」(獅子)です。 ここの吽像を見ると、
頭頂に「角」があります。  角のある姿が伝統的な本来の形だそうなのですが、今では極めて珍しいものです。
 もう一つ、本殿の近くに小さな石像を見つけました。
 仲睦まじい男女が優しそうに寄り添っています。 この男女は兄妹です。 名前を「双体道祖神」と言い、長野県などの中部地方を中心に東日本でよく見られるものです。
 西日本ではほとんど見られることがなく、島原半島でもここ以外ほとんど見られないそうです。 先生の見解によると、中部地方に旅行に出かけた者が可愛いからと持ち込んだものじゃないかと仰っていました。
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八幡町八幡神社

2024-01-29 12:01:50 | 寺社・仏閣
24.1.29(月) 天気;晴れ 気温;1℃
 八幡町の八幡神社にやってきました。
 場所は白山(はくさん)公民館の近くです。 島原市立第三小学校から島原郵便局につながる道の途中です。
 祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)=第15代応神天皇の化身とされています。
 平安時代には、天皇家を祖とする清和源氏が京都の石清水八幡宮を氏神としたことで、武勇の神として多くの武士から信仰を集めました。
 八幡大神の神使は「鳩」です。 これは応神天皇が国内を平定する時に、道案内を務めたのが鳩だったからです。
 ここでは第二鳥居の「華表」の文字や第三鳥居に三柱「春日大神、天照皇大神、八幡大神」の額束の説明がありましたが、記録を取っていたので聞き逃しました。
 鳥居から入った石段の上に立尾の立派な狛犬さんがいるのですが、それよりも拝殿前の一対の狛犬さんが、お顔の表情、細くて長い前足と胴体、そして爪の形など、すごく特徴的でした。
 境内には他に宮地嶽神社、松風稲荷神社(松風はおそらく地名)がありました。
 そちら2社は写しているのに、本殿の撮影をしていませんでした。w
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天神元町天満神社2

2024-01-27 12:29:20 | 寺社・仏閣
 境内には他にも道真公にまつわる物があります。
 神様の使いとされる牛の像です。
 道真公が太宰府で亡くなられた際に、ご遺体を牛車に乗せて墓地へ運んでいたところ、とある場所で牛がうんともすんとも動かなくなりました。 その場所が現在の太宰府天満宮です。(年末年始のTV番組「博士ちゃん」で知りました。w)
 他に境内には猿田彦大神や、島原市指定史跡「清水川」の遺構があります。(「清水川」については2013年2月13日の記事をご参考ください。リンクを貼ってます。)
 清水川関係で、境内ではありませんが社殿の裏にこんなものがあります。
 石塀の上にちょこんと鎮座した水神様です。  お名前を「ミズハノメノカミ」というそうです。 『古事記』では「弥都波能売神」と書かれ、神社の祭神としては「水波能売命」と表記されます。
 「清水川」の解説で書いたように、ここらは水が出ず、遠くからやっとの思いで水を引いていました。 その貴重な水を守るための水神様が祀られています。
 
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天神元町天満神社1

2024-01-27 11:33:05 | 寺社・仏閣
24.1.27(土) 天気;晴れ 気温;1℃
 「島原市内の新春神社巡り」でまわった神社を紹介します。
 まずはセンターから水無し川方向へ下った麓にある天神元町の「天満神社」に向かいました。
 福岡の『太宰府天満宮』から嘉吉年間(1441〜1444年;室町時代)に勧請されました。
 祭神は学問の神様である「菅原道真公」です。
 太宰府天満宮・菅原道真公と言うと、「東風吹かば 匂い起こせよ梅の花 主人なしとて 春な忘れそ」と詠んだ『飛梅』(※)が有名ですが、入り口には梅紋をかたどった水鉢がありました。
 境内に入ると、石灯籠の上とT字型の石柱に一方が逆立ちした狛犬がありました。
※飛梅・・・京の都で権力闘争に敗れた菅原道真が太宰府へ左遷される際、前述の歌を詠みました。意味としては「(春になって)東の風が吹いたなら、花の良い香りを(私のいる太宰府まで)送ってくれよ、梅の花。 主人がいないからといって、春を忘れるなよ。」です。
 主人(道真)を慕った梅の木は一夜のうちに京都から太宰府まで飛んで来た、という伝説です。
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