島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

山ノ上神社

2014-01-31 13:43:54 | 歴史・史跡
もう時間軸がズレずれです。
いつ撮影に行ったんだか、忘れました。
雲仙市国見町にある「山ノ上神社」です。
昨年の夏くらいに広域農道を走っていると真新しい建物が出来ていました。

「山の駅 ベジ・ドリーム」というお店です。
店舗1F部分が農産物の直売所になっていて、2F部分はお洒落なカフェ・レストランです。
「ベジ・ドリーム」の名前から野菜にこだわっている感じが伝わってきます。
とまあ~お店の紹介は置いといて、その通りの同じ並びにあります。(目印だと思って下さい。)

だだっ広い運動場の奥に鎮守の森を従えて社殿があります。
広い運動場の隅にも石仏や石碑があります。
入口の鳥居には「四面社」の文字が刻まれてありました。
おそらく温泉神社に繋がるものだと思いますが、詳しい説明書きはありませんでした。
「さんめんわら展望所」(2011年3月11日記事)といい、半島内にはまだまだ謎の部分がいっぱいです。
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謎の穴

2014-01-30 14:15:34 | 雑談・その他
「暖かい。」
まさか1月にこんな言葉が出てくるなんて。
今朝のたるき台地の気温は9℃、風は強いですが暖かい日和です。
この暖かさのせいか、曇天模様であたりが暗いせいか、2,3日質の良い睡眠がとれていないからか、・・・眠い。
異様な眠さと戦いながら仕事しています。
また、「三寒四温」とはこのことでしょうか。
寒い日が続いたと思ったら、この暖かさです。
体調管理の難しい季節になってきました。
島原市内ではインフルエンザが流行っているらしく、市内の小中学校では学級閉鎖が行われているようです。
いずれにせよ、外から帰ったら手洗い・うがいを徹底しましょう。

長い前置きになりましたが、本題に入りましょう。
今朝出勤してくると、園内に謎の穴が掘られていました。
穴の大きさは、縦横40cmくらい。
深さも最深部で40cmくらいあります。
明らかにイノシシのあせり跡とは違います。
犬みたいに前足で掘り返した穴だと思います。
アナグマかな~?
巣穴を掘ろうとしていたのかな?
だとしたら、こんな目立つ場所は勘弁して欲しい。
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ハイイロチュウヒ

2014-01-29 11:39:50 | 野鳥
昨日、長崎県知事選の期日前投票に行ってきました。
2月2日の投票日は、間違いなく仕事で出勤しています。
予定のある方は、是非時間を見繕って投票に行って下さいね。

さて、ついでと言ってはなんですが、諌早干拓地に寄り道してきました。
そうです、前回長崎県主催の探鳥会で行った場所です。
垂木台地では観察できない何かしらの野鳥を撮影しようと行きました。
マナヅルがいましたが遠くて撮影できず、ナベヅルは発見できず、帰ろうかとした時に空から舞い降りる鳥が!
ハイイロチュウヒだ!
ハイイロチュウヒはタカ科の冬鳥です。
生息環境や習性はチュウヒと似ていますが、より低空を飛翔するのが特徴です。
チュウヒ類は、草叢の中にいる獲物の居場所をつきとめるために発達した耳をもっていますが、低空を飛ぶのは視覚とともにこの聴覚も働かせているためらしいです。
雄は灰色の名前のごとく白っぽい色をしています。
その貴公子のような容貌から、バーダー(野鳥観察家のことらしい)の間では“垂涎の的”になっているとか。
長崎県では準絶滅危惧種に指定されています。
え、写真が遠い?
仕方ないでしょう、これ以上近づけないんだから。
下の写真が限界です。
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千々石温泉神社

2014-01-27 13:41:04 | 歴史・史跡
実はすでにここは紹介済みなのだが、当時は寺社仏閣にあまり興味がなかったためにしれっと紹介だけしています。
2012年の正月に、島原半島内の神社を初詣で巡りした際に「その4」で訪れています。(2012年1月13日記事
伊佐早(諌早)・山田(吾妻)・有江(有家)の3つとあわせて、これで4つの分社すべてコンプリートです。
ただ、半島内にはまだまだ分社した温泉神社があちこちに分散しており、全部見つけ出すのは困難かと思われます。
言い伝えでは雲仙の温泉神社を中心に、守るように4つの分社を配置したと聞いた事がありますが、方角はバラバラです。
雲仙から見て、諌早・千々石・吾妻の3つはほぼ北西方向ですし、有家1つだけが南東方向です。
いくら地図がなかった時代とはいえ、太陽の昇る方向から大体の東西南北くらい分かったろうに、こんな偏った配置の仕方するかな?
もしかすると、知られていない何かしらの意図があったのかも知れません。
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冬鳥探鳥会に参加しました。

2014-01-26 13:26:49 | 雑談・その他
良い天気です。
こんなに良い天気が、何故昨日じゃなかったのか・・・悔やまれます。

昨日は1日お休みを頂いて、長崎県主催の「冬鳥探鳥会」に参加してきました。
昨年も諌早湾干拓地を中心とした場所で県主催の探鳥会があったのですが、昨年は九十九島ビジターセンターで開催された野鳥観察会を優先しました。(2013年2月21日記事「九十九島イベント」
今年は1年越しの待望の初参加です。
天気予報は雨でしたが、雨合羽を準備して万全の体勢で望みました。
午前中は曇り空で、中央干拓地の中でマナヅル、ナベヅル、タゲリ、タヒバリなどを観察しました。
一番感動的だったのは、私達のすぐ目の前をハイイロチュウヒの雄が旋回していったことです。
持っていったデジカメが自前のコンパクトデジカメで、しかもその時バスの中に置きっ放しだったことはこの際忘れましょう。w
お昼前に堤防道路を通ってカモ類を観察する予定でしたが、雨が降り始め、ほとんど観察できず。
上の写真、「長田いこいの広場」で昼食をいただきました。
午後から大村市まで移動して観察の予定でしたが、雨足は強まるばかり。
雨合羽くらいじゃどうにもならない雨の強さに、バスの中から一歩も出ずに探鳥会は終了しました。
しかし、私的には午前中だけで十分に楽しめました。(むしろ午後はいらなかったかも・・・)
野鳥の撮影は一枚も成功しませんでしたが、それでは悪いので今朝園内で撮影できたメジロを最後にアップしておきます。
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ヤマシギ

2014-01-24 13:32:48 | 野鳥
昨年末あたりから、園内で嘴の長い見かけない鳥を見るようになった。
しかし、いつもすぐに逃げられていたので、撮影どころか正体さえ掴めなかった。
昨夕、事務所の裏に現れたところを撮影でき、正体が判明しました。
北海道から本州中部の平地や山地の林で繁殖するが、個体数が少ない、シギ科の「ヤマシギ」です。
積雪の多い地方のものは冬期、暖地に移動します。
夜行性で、昼間はよく茂った林や薮の中にじっと潜んでいます。
夕方になると湿地や農耕地に出てきて、長い嘴で地面を探りながら、ミミズや昆虫、陸生貝類などを採食します。

2羽つがい(?)で餌を探しに来ていました。
夜行性のため、目が大きいです。

中薗ARによると、「昨夏の夜に千本木の方でそれらしい鳴き声を聴いていたので、まゆやまロード沿いには留鳥として生息しているのではないかと考えています。」とのことでした。
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諌早散策

2014-01-23 15:00:35 | 雑談・その他
さて、そろそろ車を停めた諌早駅へ戻りましょうか。
と、来た道と違った道で帰ることにしました。
歩いていると、やたらと寺社仏閣に出会うことに気付きました。
表紙写真は高城址を下って、すぐ近くにあった高城神社です。

こちらは天祐寺、調べてみると諌早家の代々の墓所がある所でした。
今回は立ち寄らず。
なるほどね、諌早は城下町だったからこんなに寺社仏閣が多いのか。
島原市も城下町で、寺町というお寺さんが集まった町まであります。
城下町という点では島原と共通しているんだなあ~。

島原鉄道が走る単線を見つけました。
レンガ造りのトンネルがなんだか懐かしく感じました。
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諌早眼鏡橋

2014-01-22 13:21:05 | 観光・施設
諌早公園には移築した眼鏡橋があります。
「本来はこの場所より400m下流の本明川に架かっていました。
 諌早市の中心部を流れる本明川は、古くから何度も大水害に襲われ、川に架けられた木の橋はその度に流されていました。このため昔の人たちは飛び石を利用して川を渡っていました。
 そこで水害でも流されない橋を造ろうと、天保九年(1838年)に石橋の建設が始まり、翌十年(1839年)に念願の眼鏡橋が完成しました。
 いさはやの眼鏡橋 いきもどりすれば おもしろかなり
 と数え歌にされるほど愛されていましたが、昭和三十二年(1957年)の諌早大水害では橋の造りがあまりにも頑丈であったため激流でも壊れず、水の流れを堰き止める堤防の形となって、死者行方不明者539名の大きな犠牲者を出す原因となりました。
 大水害のあと、本明川の川幅を広げることとなり、ダイナマイトで壊す計画がありましたが、眼鏡橋を残したいという市民の願いによって、昭和三十三年(1958年)に石橋としては全国で初めて国の重要文化財に指定されました。
 そして、昭和三十六年(1961年)にこの諌早公園に移されました。」
諌早大水害は私が生まれる前の出来事ですが、毎年寺井先生にお願いしている6月の「気象学習会」でよく出てきます。
名前や被害の大きさはなんとなく知ってしましたが、やはり実物を見ないことには実感が湧きませんでした。
ダイナマイトで破壊しないで、残していくだけでも災害の記憶は引き継がれていきます。
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ご注意下さい。

2014-01-22 09:04:12 | 気象
おはようございます。
朝から注意喚起のアップです。
写真をご覧のとおり、垂木台地ではうっすらとではありますが、積雪が見られます。
私が出勤してきた時には、まゆやまロードの「スノータイヤ・チェーン規制」が出ていませんでしたが、

一番登り上がった所では積雪がありますので、ノーマルタイヤでは少し危険かも知れません。
十分にご注意下さい。
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高城址(諌早公園)

2014-01-20 13:54:34 | 歴史・史跡
諌早神社を離れ、少し周辺を歩いてみることにしました。
本明川に沿って歩いていると、妙な鳥居と小高い丘に登れる道を見つけました。
後から知ったことですが、ここは「高城(たかしろ)」と呼ばれる山城の跡でした。
築城年代ははっきりしませんが、文明六年(1474年)に伊佐早次郎入道を討って、初めて伊佐早地方を統一した西郷尚善(ひさよし)によって築かれたと云われます。
その後、天正十五年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐に参陣しなかった4代目西郷信尚(のぶひさ)は所領を没収され、替わって龍造寺家晴に与えられました。
龍造寺家晴の子・直孝(なおのり)の時、諌早氏を名乗り諌早家は独立した大名でしたが、直孝が病身で江戸でのご奉公ができないとの理由で大名を破棄し佐賀藩の家老(龍造寺四家のひとつ)となりました。
諌早氏は高城を居城として維持していましたが、五代諌早茂門の時、老朽化が進む城の維持が困難となったために城を廃しました。
時は流れ大正十二年(1923年)ツツジが植えられて、みんなの憩いの場としての諌早公園が誕生しました。
なんて語っているうちに頂上まで到着しました。

諌早の市街地が一望の元に見渡せます。
殿様はお城からこの風景を眺めていたのですね。
本丸があったと思われる場所には、クスノキの大木も植わっていたのですが、かなりの大木で「お城があった頃にはすでにこのクスノキもそれなりの大きさだったろう。・・・(眺めの)邪魔だったろうなあ~。」なんて考えてしまいました。
高城から下って来る時には、お城だった頃の説明が何箇所かに残っており、

例えばこんな場所でも、敵に攻め込まれた時に惑わす仕掛けがあることを知りました。
(今は公園化しており、ちゃんと道も分かりますが、攻め込んだ兵は右の階段方向ではなく、左側の行き止まりへ直進をしてしまう、みたいな。)
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