島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

有馬川殉教巡礼地

2013-09-26 10:37:38 | 歴史・史跡
ここは有馬川のほとりです。
有馬晴信の跡を継いだ直純は、重臣達に棄教を求めました。
しかし、従わない者たちもおり、そこでキリシタンへの見せしめのために処刑することになりました。
慶長十八年(1613年)10月7日、アドリアノ高橋主水と妻ヨハンナ、レオ林田助右衛門と妻マルタ、娘マグダレナ、息子ディエゴ、レオ武富勘右衛門と息子パウロの8人が中洲で火あぶりになりました。
マグダレナ林田は、2013年3月10日の記事にアップしています。
文化財ジオツアーで、島原のアーケードを中心に見学した時に、島原カトリック教会に像がありました。
見せしめのはずの処刑の日、2万人余りの信者が着飾って集まり、その中での殉死でした。
12歳のディエゴ林田は柱の縄が焼け落ちた時、燃えている母マルタの足元に駆け寄りました。
母は、「天を仰ぎなさい」と指して、母子ともに神を讃えながら殉死して、集まった人々に感銘を与えました。
このことがかえって人々の信仰心を強くしたとして、翌年の禁教令を発令させる誘因の1つになったといわれます。
彼らは2008年に福者に加えられ、それを記念してマカオに埋葬されていた聖骨の一部が、島原カトリック教会(島原半島殉教者記念聖堂)に祀られています。
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