25.8.22(金) 天気;晴れ 気温;24℃
今日は午後から団体の工作教室があるので、いまのうちに更新しておきます。
昨日までにその団体から参加人数など事前に連絡がなかったのですが、大丈夫だよな? 今、一抹の不安を覚えています。
さて、17日(日)PETロケットの参加者を見送りに雲仙BASEの入口まで出た時に見つけました。(表紙画像)
なに?「校門の歴史」?
石柱を見ると、「温泉尋常小学校」と書いてあります(小の字が消えかかって判読は難しいですが)。 「温泉」は昔は「うんぜん」と読み、今の「雲仙」を指しています。 この字が使われていることから少し古いものだと分かります。
解説にはこうあります。
「雲仙に学校が設立されたのは明治20年、富津簡易小学校分教室(1学級12名)を開設したのが始まりです。 明治26年には温泉尋常小学校として独立校となります。」
富津は今の小浜町の一部ですが、最初に富津に学校が開設されたということは、当時は雲仙や小浜よりも富津が栄えていたということでしょうか。ちょっと興味深いです。
「この石柱、校門は大正7年に地元の人々の寄付により建立されました。この時の児童数は71名でした。大正15年には雲仙青年訓練所が併設され、太平洋戦争の年昭和16年には雲仙国民学校と改名されます。昭和22年に雲仙中学校を併設し雲仙小中学校となりましたが、この石造り校門は、昭和35年まで原生沼前にあった旧校舎の正門として使われ続けました。
この門より巣立った卒業生は1586名になります。 平成10年4月」
!ってことは雲仙小学校は昔、原生沼の前にあったのか!! そう言えば今も原生沼の前は広場になっているもんな。
なんとなくあそこに広い土地がある事に疑問を持っていましたが、なるほど、合点がいったー。
解説には「校門があった昭和10年代の学校風景」が写っていました。

言われてみれば、背景に写っている森(山)は原生沼の前にあるものだ!