島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

愛野温泉神社

2012-01-30 13:27:17 | 歴史・史跡
初詣で巡りの続きではありませんが、以前から少し気になっていた愛野町の温泉神社を探してきました。
だいたいの場所は把握していたのですが、はっきりとした所在が分からない。
国道沿いではなく、裏通りに正面入口がありました。
それも立派なのが。

昔はこちらが島原街道で、本通りだったようです。
国道が裏を通り、今ではすっかりこちら側が裏道ですが。
手前の巨木はエノキらしいです。(春の花の時季か、秋の黄葉シーズンに確認します。)
階段を登って本殿へ向かいます。

こちらも想像していたよりも立派な建物があります。
「昔、文武天皇が大宝元年(701年)に行基菩薩に勅して温泉神社を御壮健になり、九州の総鎮守の神としてお祀りになったと、雲仙の満明寺境内にある法華塔碑銘に刻まれていますが、その神々を分神し、この愛津(旧地名)に鎮祭されました。
本来この丘は地形上海上交通安全を祈る聖地であったのでしょう。
温泉神社は中世の頃は四面宮と言われていましたが、明治二年宮号を廃して、温泉神社と改められました。
今も土地の人達は『おしめんさん』と呼んで、崇敬しています。
そして明治八年・・・(以下、消えて読めません)。」
帰ってきて調べていると、本殿のすぐ脇にスダジイの巨木があったようです。
しまった~すっかり見落としたな~。

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愛野展望台

2012-01-29 14:14:54 | 観光・施設
ここはもう観光地として有名ですね。
雲仙市愛野町にある「愛野展望台」へ行ってきました。
へ~天皇陛下がこの地から景色をご覧になられたんだ~。
ジオパークの観察地としては、ここより少し下った「千々石展望所」をよく使います。

なるほど、ここからじゃあ千々石断層が見えないな。
お山もあまり見えていないぞ。
よく見えるのは猿葉山と南に広がる橘湾ですね。

下を見下ろすと、去年5月に「断層を歩こう!」で歩いた旧温泉軽便鉄道跡が見えます。
この展望台内にある“和洋レストランおにつか”さんで長崎Wスーパーポーク丼をいただきました。
地元民としては一度は食しておかんといかんばい。
豚肉好きにはたまらない逸品でした。w

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初詣で巡り、番外編

2012-01-28 13:09:38 | 雑談・その他
覚えているでしょうか。
1月12日更新「初詣で巡り、その3」でpassした猿葉神社を。
流石にもう落ち着いただろうと、先日行ってきました。

案の定入口には車1台しか停まっていない。
実は以前猿葉神社には行ったことがあるのだが、こちらの入口は使っていない。
あの時は猿葉山周辺を歩き回っていたので、違う登り口から入ったのだ。
初めての道を通っていると思いもかけない物に出会うものだ。

大村純忠の墓とな?
隣の石碑に大村純忠の説明が書かれているが、大村藩主の大村純忠の墓が何故この猿葉山にあるのか書いていない。
何故だ?

まあ、そんなこんながありながら不動明王の見下ろす本殿まで行ってお参りしてきました。

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平成新山の水蒸気

2012-01-26 13:17:06 | 平成新山

すでに何度か書いているかも知れないが、平成新山の水蒸気について説明しておく。
平成新山からは今現在も水蒸気が上がっている。
水蒸気を見て「まだ噴火しているんですか?」とよく聞かれるが、噴火していたらこんな所(垂木台地)に私はいない。
溶岩ドームの中にはまだ熱がこもっている。
その熱が水蒸気となって逃げている途中なのだ。
水蒸気となるからには水が必要だ。
以前、平成新山の調査に同行した際に九州大学の先生に質問した。
「水蒸気の水はどこからきているんですか?」
溶岩ドームの上に水なんかあるわけない。
空気中の水分か雨水か、と予想していたら外れた。
溶岩(マグマ)の成分の中に水が含まれており、それらが分解(?)して出てきているそうだ。
だが、今日の(水蒸気)は明らかに雪が溶けて蒸発したものだな。

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初詣で巡り、その8

2012-01-25 13:49:58 | 雑談・その他
深江以南、神社なかったかな~?と考えていると、何故か布津町で夏祭りが行われていることを思い出した。
「ああ~こんぴら祭りだったかな~、こんぴら様って確か神社だよな~?」
確かめる意味もあって、布津町大崎鼻へ向かった。

あった、あった。やっぱり神社だ。w
隣接するこんぴら公園で毎年夏祭りが行われている。
神社の背後に雲仙普賢岳の裾野が海に向かっている絶景が臨めるのだが、神社を入れての撮影は無理だった。
こんぴら公園には展望台があるので、そちらで確認していただきたい。
最後に昨年の歴史ジオツアーで訪れたばかりの有家町温泉神社に詣でた。

ここから南、西有家町から口之津町の間に大きな(有名な)神社を知らないので、今年の初詣で巡りは終了とする。
詣でた数だけ良いことがあれば良いが、逆に神様同士ケンカするかな?

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深江町諏訪神社の社叢

2012-01-24 13:01:53 | 植物
深江町諏訪神社の社叢は、長崎県の天然記念物に指定されています。
諏訪大神は元々狩猟神、武神としての性格が強く武家の間で信仰が厚かったもので、後に農耕的性格を加えました。
深江村では産土神として祀り、のち村社となし、村民結合の守護神となりました。
神社境内に群生している大楠群やチシャノキ、ハリギリの大木は大変珍しく、特に最大の大楠は、幹周り6.6m、樹齢600年と推定されています。
以上、雲仙勤務地よりお送りしました。

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初詣で巡り、その7

2012-01-23 13:13:48 | 雑談・その他
島原半島のこりの4分の1を巡ろうとして、垂木台地から一番近い所を忘れていることに気づいた。

ああ~焼山神社があった。
元々千本木(せんぶき)に住んでいた方々が、平成の普賢岳噴火の際に移転を余儀なくされ、離れ離れになった氏子の心のよりどころとして再建されたものです。
焼山の麓、焼山湧水の流れる場所にあります。
島原市を南下し、深江町に入る。

深江中学校・小学校の近くに諏訪神社がある。
深江地頭職にあった八代 安富泰清氏が正長元年(1428年)、信濃国(長野県)第一の大社、諏訪神社を勧請し現在地に祀ったものです。
諏訪の池や長崎市のものとはルーツが違うようです。

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ウグイスの巣について

2012-01-22 13:31:32 | 野鳥
さて、久しぶりの自然系の大ネタを釣り上げたものだ。
昨日1日でしまいにするのは、もったいない。
そこで「日本の鳥の巣図鑑 全259」(作・絵 鈴木まもる;偕成社)を購入して、鳥の巣について調べてみた。
ウグイスは、巣作り・抱卵・子育てはすべてメスだけでするそうだ。
一夫多妻でオスは自分のテリトリー内で、複数のメスと繁殖します。
巣が地面に近く、襲われやすいからです。
何故地面に近い場所に巣を作るかというと、葉の裏側につく虫を餌にするからです。
襲われやすいという危険があっても、それよりも餌を取るほうが大事という理屈なのだ。
なるほど自分が見つけた巣も、だいたい自分の腰くらいの高さにあった。
オスが複数のメスと繁殖するのも、巣を多く作って危険の確率を下げようということらしい。
自然の中で生きるということは、頭を使って賢くないと生きていけないのだな。

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鳥の巣

2012-01-21 13:18:41 | 野鳥
インターネットで「鳥の巣」を検索すると、北京オリンピックのメイン会場がヒットします。
それはさておき、園内で「鳥の巣」を見つけました。
草葉が生い茂っていた時は、まったく分かりませんでした。
草が枯れ、葉が落ちた今の時期だからこそ発見できました。
巣の場所や巣材からウグイスの巣と思われます。
中には赤い卵の殻の欠片が残っていました。
私達の知らない間に、ウグイスが子育てに勤しんでいたのですね。

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番所跡

2012-01-19 15:43:08 | 歴史・史跡
有明の森 フラワー公園と県道58号線の交差点にある「番所跡」です。
場所は分かりやすいのですが、すっかり見落としていました。
「古くから千々石道は山間地域の間道で温泉岳に登山する行者道や参拝道であり、南北朝から戦国期にかけては合戦のための重要な間道でした。
幕末の頃になると世情は慌ただしくなり、この地に番所が設置され、支配頭寺田氏が合津(愛津)関所から赴任してきました。
当番所は島原城への裏手の侵入道路として島原城防衛上の拠点であり、また領民の生活を守る経済流通の道としても最も重要な幹線道路でした。
番所では関所守りとしての務めの他に、山林の管理・保護・植林・伐採等の任務をつかさどり、その合間に鉄砲方煙硝の製造にも従事し、各村々の水車(水利?利権のこと?)の取り締まりも務めていました。」
県道58号線は現在ではすっかり裏通りと化し、通行する人も地元の方ばかりですが、昔は重要な通りだったのですね。
ちなみに後に写っている家は空き家です。

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