8/16/2020 池袋の東京芸術劇場で、狭間美帆プロデュースによるシンフォニックジャズ・フィーチャリング渡辺香津美を見て涙ぐんだことを、忘れてしまいそうなので時機を逸したが書いておこうと思う。
コロナ禍による緊急事態宣言が終わって間もない頃、そしてまだあらゆる舞台の公演がまだ行われていない頃、僕は仕事で東京芸術劇場の副館長、高萩さんに取材する機会に恵まれた。
舞台人、演劇人、劇場が遭遇している未曾有の危機、その大きさの衝撃をまだ受けている最中だった。内容はぜひ上記記事を参照していただきたいが、その時に最も印象に残っているのは
「髙萩氏:そうですね。生の音楽や演劇が今まで以上に貴重品となり、大切にしたいと考える方もいらっしゃるでしょうし、今だからこそ、生の公演を見たいと思う方もいらっしゃるでしょう。私自身、今この状況でホールでオーケストラの交響曲を聴いたら、ものすごく感動するんじゃないかなと思っています。」という言葉だった。そして私もそれまで週に1回はピットインや下北沢アポロなどのライブハウスにジャズのライブを聴きにいっていた私も、同感だった。
その後、今までのキャパでの公演はまだ許されていないとはいえ、ライブは慎重に解禁された。私も数回いったが、家庭の事情もあり今までのようにノーリスクで行ける気楽さはない。
とはいえ、東京芸術劇場のコンサートホールで、ジャズのラージアンサンブルの第一人者である狭間美帆さんが、東京フィルハーモニー交響楽団と自身のm-unitで演奏し、そのメンバーに私が敬愛するトランペッター石川広行氏がいる、しかもゲストに渡辺香津美さんが来るというのは見逃せないと思い出かけてみたのが、どこにも行けない特別な夏のお盆の真っ最中8/16だった。
コロナ禍で最初の東京での公的ホールの最初の演奏、パイプオルガンのコンサートを東京芸術劇場で見たのが6月でその時のことは以下に書いた。
大ホールでたった一人の奏者、わずか100人の聴衆。そこからやっとジャズオーケストラが聴けるようになった。とはいえキャパはまだ半分なので客席はやや淋しいし、半分で満席だとしても、満席には至っていなかったと思う。
コンサートが始まる、そのブザーが鳴って袖から「お願いします!」というオーケストラのマネージャーの声が聞こえてバイオリンを携えた奏者が左右の袖から出てきた、僕はそれだけで落涙してしまった。
音楽は聴くだけでも一人で練習するだけでも、そしてソロ演奏だって十分楽しいが、人と合奏する、アンサンブルする、バンドで演奏することの楽しさは、人生で他に比べられる物はないほどの歓びであり福音ですらある。それが長い間禁じられていて、ついに演奏できる、それを聴くことができると思っただけで、自分での予測できなかった、信じられないほどの歓喜を感じたのだった。
オケが揃い、長身で凛々しい狭間さんが出てきて指揮を始めて演奏が始まる。さすが新世代で、スコアはすべてiPadだ。オケの弦楽器の繊細な音、非常に高域まで伸びた弦を擦る音は、生のオケを聴かないと味わうことはできない。高橋信之介のドラムは大ホールに響いている。
一曲目が終わり、客席を向いた狭間さんは、コロナのリスクがあるなか、こんなに大勢の方に来ていただいて、感謝します、私も数ヶ月家に閉じ込められていて、お客さまの前で演奏することができませんでした、というMCをしたが、途中彼女も落涙して、言葉が途切れた。
コロナ禍について言えば、私は結果的に進化を助ける触媒である、であるべきだと思っている。必ず終息はする。しかしそこまで耐えて良かった、良かったと以前に戻るべきではないと思っている(すでに世間で言えば定年近いオッサンなので、戻りたい気持ち、なかったことにしたい気持ちも理解はできるが)。印鑑・社判、定時に毎日出社すること、それに伴う通勤通学の満員電車、頭数を揃えての意味の薄い会議、行かないと失礼になる営業など。デジタルテクノロジーを使って効率化すべきことは、このショック療法を機にどんどん進めていくべきだし、進んだ国、コミュニティは実はコロナ以前からテレカン、非印鑑、在宅ワーク、フリーアドレス、採用労働などは認めていた。だから、コロナ禍のお陰でやっと追いついたというレベルであって、コロナ禍があったからデジタル省ができたなんてのは、遅きに失したことだ。
しかし、コロナ禍で見えたもうひとつは、同じ場所で生のものを味わわないと享受できないこと、同期でないと体験できないことも、思いのほかあったと言うことだ。これは今後もなくしてはならないし、コロナ禍によって、それがいかに貴重で、大切で、贅沢で、歓びに満ちたことであるかということを認識できた。今まではノーリスクでやりたいほうだいだったわけで、ある意味無邪気なティーンエージャーの○○みたいものだったわけだが、○○は実はなくては文化的に死んでしまうもの、滅亡してしまうものであることがわかった大人として、今後、コロナ禍においてはリスクを管理しながら、そして必要なコストと手間をかけながら、今後も生演奏、公演、パフォーミングアーツをよりいっそう貴重なものとして育んで行かなくてはならないと思うのだった。
本文の終わり
で、以下はおまけ。
書き忘れたフィーチャリングゲストの渡辺香津美さんの演奏だが、多分素晴らしかったのだとは思う。ただ、わたしの席がオーケストラの下手真上の当たる席だったせいで(お陰で狭間美帆さんの指揮は前からしっかり見れて幸運だった)ギターアンプの音が殆どきこえず、PAの音もほぼ聞こえず、渡辺香津美さんも後ろ姿しか見えなかったのだった。
ジャズとクラシックの融合、という場合、音楽家の担う音楽性とは別の次元で、クラシック楽器とジャズの楽器の音量の問題、クラシックのホール音響とPAと弦楽器の生音の問題は、まだ大いに検討、改善の余地が膨大にあると思う。今回も私の席で聴いた印象では、ドラムのスネアの音は響きすぎる、でもハイハットやライドの刻みはあまり聞こえない。ウッドベースの音、ギターアンプの音はほとんど聞こえない、管楽器のソロの音も吸われていくので奏者はめいっぱい吹いてしまうので辛そうに見えた。(でも石川広行氏のソロは、何時もの小音量の時とはまた違った鳴らし方で、それが味わえたのは良かったし、ソロの内容も実に素晴らしかった)
ちなみに、毎年通っている渋さ知らズのラフォルジュルネでの東京国際フォーラムのホールで聴く時も残響が大きすぎて音がぐちゃぐちゃだったし、ある年の渋さ知らズ知らズのラフォルジュルネは演奏者として参加したこともあるが、ステージ上でもバンド全体の音は非常に聞き取りにくかった。
このあたりは、ジャズ+クラシックという音楽ジャンルの内容がどんどん進化し、現代の音楽のクリエイティブの最先鋭となる中で、音楽家を支える音響チームには頑張っていただきたい点だ。