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2015 6/2の拝観報告9 最終(京都文化博物館 大関ヶ原展)


写真は、京都文化博物館

太閤山荘を16:20頃に出て、玄琢下→紫竹西通→北山通→堀川通→紫明通→烏丸通→姉小路通と進み、東洞院通周辺のコインパーキングに駐車し、やってきたのが京都文化博物館です。
この日は大関ヶ原展の初日。

以前からお話していますが、僕の京都めぐりはそもそも戦国時代好き→大徳寺の塔頭→京都の神社仏閣と派生してきているので、
むしろ京都のに神社仏閣より、戦国時代の方がずっと詳しいのです(笑)!
高校時代ぐらいから戦国時代の本を読み漁り、今も家に約200冊の蔵書があります。

その上での大関ヶ原展。
テンションが上らないハズがありません(笑)。

近年の刀剣乱舞というゲームの影響で、東京での大関ヶ原展も盛況だったと聞いていたので、前売り券を購入していました。
しかし初日とはいえ、平日。
結構空いていて、ゆっくり見られました。

さて展示の内容の感想です。
まずは唯一の国宝の徳川家康書状。上杉景勝宛てです。
個人的にはそれほどの喰いつきでもなし(笑)。

大徳寺 大慈院の立花宗茂像。
大慈院が立花氏が開基と知っていたので尚更です。
それに依然、萬福寺の別峰院で、お寺の方が「あの柳川藩の・・・」と、名前が出てこなかった時に僕が「立花家ですか。」と言った下りがありました。
その立花が、この立花宗茂だとあんとんさまに脳内で情報をつなげて頂きました(笑)。
ましてや本多忠勝を知っていて、立花宗茂を知らないのは戦国通的には”ない”です。
「東の本多忠勝、西の立花宗茂」と並び称された猛将ですからね。

真田昌幸像。
これもよく見る画です。
昌幸といえば、コレ。

また展示室の壁に合計20枚ほどの武将説明のパネルがありますが、全員自分で説明出来きました。
そのなかに「真田信繁」が。
すかさずあんとんさまに「この人、知ってる?」と。
あんとんさま「信繁・・・?」。
僕「絶対に知ってるから、読んでみ」と。
「幸村」のことなんですよ。
真田幸村は自身のことを幸村と名乗ったことはないです。
そのことや本名の信繁の由来についても、現地であんとんさまに解説(笑)。
ウルサイおっさんでゴメンナサイね(笑)。

豊国神社の骨喰藤四郎は、前述の刀剣乱舞二にも出てくるようですし、僕も名前は知っていました。

知恩院 重文の徳川家康坐像は、春の非公開文化財の際に権現堂で公開されたものでしょうね。
あの時は遠かったですが、今回はガラス越しなものの、すぐそこでした。

最後はもうコレ。
前期最初の2週間の目玉。
初花肩衝です。
四方からマジマジと観せて頂き、2周目でも観させて頂きました。

あっという間に18:00の閉館。
後期も行きたいなと思いつつ、自宅へ帰りました。

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太閤山荘1 書院(鷹峯散策11)


写真は、書院と庭園(中央奥に中潜り)

歴史関係の書籍を出版されている宮帯出版社が所有している山荘です。
古田織部美術館が併設されています。

アクセス
おおまかには、鷹峯 常照寺の裏側にあります。
北大路バスターミナルから市バス北1系統に乗ります。
源光庵、常照寺を通過して、坂を下ってくる途中の釈迦谷口で下車します。
バス停を降りて、左手前に伸びる氷室道に進みます。
坂を一旦下ってまた上り、バス停から約550mでヘアピンの左折路があるので、ここに進みます。
道なりに約120m進んだ左手に、太閤山荘があります。

1年の間、かなり長期に公開しておられますが、展示替えの際に1週間程休館になることがあります。
詳しくはHPでご確認ください。

表門を入ると正面に玄関、左手に露地庭園への柴折戸があります。
玄関から上がります。
入館料は500円です。
右手には8畳ほどの洋室、正面には2階への階段、左手に廊下が続きます。

2階へ上がると床の間のある広間です。
南側は一面窓で、紅葉谷の景色が一望できます。
またこの部屋の扁額は橋本関雪の筆です。

1階の廊下を進みます。
途中に段差があり、廊下が正面と左手に分かれます。
左手に進むと書院で、8畳の広間の太閤の間があります。
床の間は二重落とし掛けで、天袋が斜めになっています。
縁に沿って露地庭園があり、庭園の奥にはお茶室の擁翠亭がみえます。

正面の廊下途中の右手には8畳の奥書院 化龍亭(けりゅうてい)があります。
室内の意匠は竹をモチーフにしており、窓外には瀧の石組が中央に見えます。




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