▲<豊見城市豊崎ビーチ入口>
1978年7月30日の6:00に、戦後1947年から31年続いた右通行が左側通行に変わりました(日本復帰は、1972年5月15日です)。
▲<豊見城市与根漁港から望む豊見城道路>
直前まで、「世界では、車は右側通行が標準。日本が右に変えるべき」と、当時は強硬意見も出たらしい。
道路変更によって、バス1000台が新しく造りかえられた。
▲<名護バスセンターに残る当時の古いバス>
車の走る側も変わったので、店舗を移転した店も多かったと聞く。
車のヘッドライトの角度を変える事など、今では考えられないような混乱があったらしい。
変更直後、左側通行に慣れない運転で、プロのバス事故も発生!
一般車両も含め、左側通行に慣れない運転による交通渋滞も長引いた。
▲<北谷バンビーノ>
交通標識は「人は右、車は左」。
30年前の沖縄にあった出来事で、年配の方には懐かしい話である。
▲<那覇新都心「県立博物美術館前>
当時、親に買ってもらった730記念Tシャツをしばらく愛用していました。
でも、幼い頃にたたきこまれた「人は左、車は右」は抜けず、今でも、あ、どっちだっけ?と思うことしばしばです。
私が、初めて沖縄に渡ったのが、確か1974年の夏です。
私は、右側通行の記憶が定かではないのです。
今から考えても、すごいナナサンマルの事を、
30年たった現在、地元テレビでも住民に聞いても半分以上の人が、ナナサンマルの言葉すら、知っていなかったのです。
ご当地沖縄でも、当時の記憶が風化?の、
状況になりつつあるようでした。
おなたの間違いを指摘した他の人のコメントには返事はしないのでしょうか?
どういうスタンスでどのブログを運営しているのか真意をお聞きしたいです。