シーサーは、家の守り神です。
ルーツは、エジプトにある「スヒンクス」に遡ります。
シンガポールでは、「マーライオン」。
中国では、「唐獅子(カラジシ)」。
韓国では、「狛犬(コマイヌ)」。
沖縄では、首里城の瑞泉門・歓会門(1740年頃)と末吉宮(1456年頃)、玉陵(1501年頃)が獅子の始まりとされている。
村獅子は、「富盛の大彫石獅子」が造られたのが1680年だと解っている。
▲<「富盛の大彫石獅子」には、戦争の弾丸跡が今でも残っている。>
村獅子は、村の境界線を示す「村境」になっているが、もうひとつの役目としては「ヒーゲーシ(火伏せ・火返し)」や「ヤナカジゲーン(悪風返し」や「ヤナムンゲーン(悪霊返し)」の魔除け・守護神である。
▲<左「与那原」、右「豊見城市名嘉地」>
シーサーが、屋根に上ったのは民家の「瓦ぶき禁止令」が解かれた1889年以降。
それでも、当時はお金持ちしか瓦屋根に出来なかったので今のようにたくさんのシーサーはいなかったといわれる。
瓦職人が、残った瓦や漆喰を使って創っていたので「シーサー職人」というのはいなかった。
▲<左「竹富島」、右「那覇市壺屋」>
沖縄の各地にある「漆喰シーサー」は、一つとして同じものが無く、怖い顔をしているのもあれば、ユーモラスな顔をしているなど、いくら見ても飽きない、その家の人柄が表れていると私は思う。
▲<左「那覇市松尾シーサー屋」、右「やんばる奥」>
▲<左「宮城光男シーサー」、右「北中城村中村家」>
▲<左「糸満市西崎養護学校」、右「那覇市小禄」>
▲<糸満市>
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