嫌われる勇気(10)

2014年10月12日 14時00分00秒 | 沖縄の生活

▲<10月12日、台風19号は夜半沖縄本島を東側から西側に横切り、東シナ海へ抜けた。南城市で最大瞬間風速49.7m、沖縄県のけが人25名、避難勧告15万人。幸いに、那覇市の我が家は停電も無く被害は無かった(写真は8月3月5日の「豊崎美らSANビーチ」)>

第4章 「世界の中心はどこにあるか(1)」

アドラーの「嫌われる勇気」岸見一郎+古賀史健著より 174~178P

a.個人心理学と全体論

「課題の分離」は、「私は私、あなたはあなた」と、境界線を引くような発想で自己中心的な個人主義と考える人もいる。

また「アドラー心理学」は、人を孤立へと導く個人主義の学問と言う人もいます。確かに、アドラー心理学の正式名称「個人心理学」という名称は、誤解を招きやすいところがある。

まず、個人心理学の「個人」は、英語の語原的に「分離出来ない」これ以上分けられない最小単位という意味です。

アドラー心理学では、心(精神)と身体は一体のもので、理性と感情。意識と無意識を分け、二元論的価値観に反対しました。人間をこれ以上分割出来ない存在だととらえ、「全体としての私」を考える事を「全体論」と呼びます

「全ての悩みは対人関係である」というアドラー心理学の基本思想の「課題の分離」という考え方は、「良好な対人関係を結ぶには、ある程度の距離が必要。密着し過ぎると、向かい合って話す事も出来ない。しかし、距離が遠くてもいけない」と述べている。

「課題の分離」は、他者を避けるための発想でなく、複雑に絡み合った対人関係の糸を解きほぐして行くための発想です。

しかし対人関係は、「課題を分離」したところで終わるものではありません。むしろ「課題を分離」する事は、対人関係の出発点なのです。

※「アドラーの個人心理学」の「個人」で、「心と身体の一体論」の説明は解り易い。「課題の分離」が、対人関係の出発点と述べています。