嫌われる勇気(7)

2014年10月02日 14時00分00秒 | 沖縄の生活


第3章 『他者の課題を切り捨てる(3)』 

アドラーの「嫌われる勇気」岸見一郎+古賀史健著より 146~155P

e.対人関係の悩みを一気に解消する方法
自分について出来る事は「自分の信じる最善の道を選ぶ事」です。そして、その事に対し他者がどんな評価を下そうが、これは他者の課題(行動)であり、自分にはどうにも出来ない事です。

他者の目や評価が気になる。それはなぜか?アドラー心理学の答えは簡単です。まだ、「課題の分離」が出来ていないからです。

本来は「他者の課題」であるはずの事まで「自分の課題」だと思い込んでいる。

話がまったく通じない上司がいて、事ある毎に怒鳴りつけてくる。どんなに頑張っても認めてくれず、話さえもまともに聞いてくれない・・・。このような状態では、その上司に認めて貰う事が最優先に考えるべき「仕事」でしょうか?上司があなたの事を嫌っている。しかも、明らかに理不尽な理由によって嫌っている。だとすればもう、こちらからすり寄る必要などないのです。

直属の上司から疎まれていては仕事にならないと思いますか?それもまたアドラーのいう「人生の嘘」なのです。
上司から疎まれているから仕事が出来ない。私の仕事が上手く行かないのは、あの上司のせいだ。そう思う人は「上手く行かない仕事」への口実として、上司の存在を持ち出している。

むしろあなたは、「嫌な上司」の存在を必要としているのです。この上司さえいなければ、私はもっと仕事が出来るのだと。「あの上司がいるから仕事が出来ない」と考える。これは完全な原因論です。

そうでなく、アドラー心理学では「仕事をしたくないから、嫌な上司を創り出す」と考える。あるいは「出来ない自分を認めたくないから、嫌な上司を創る」。アドラー心理学の「目的論的」な発想です。

「課題の分離」が出来ていたら、上司がどんなに理不尽な怒りをぶつけてこようが、それは「私」の課題ではない。理不尽なる感情は、上司自身が始末するべき課題です。すり寄る必要もないし、自分を曲げてまで頭を下げる必要はない。

自分のすべき事は、「自らの人生に嘘をつく事なく、自らの課題に立ち向かう事」だと、理解する事です。

我々は、家族関係であり職場関係で「対人関係」に苦しんでいます。まずは「これは誰の課題何か?」を考える。そして「課題の分離」をする。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きする。

そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人介入させない。これが具体的な対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点です。



f.「ゴルディオスの結び目」を断て
「課題の分離」は、理屈としては正しいが、自分と他人の間に境界線を引いてしまうような生き方は、倫理的、道徳的に正しいのだろか?他人の好意を踏みにじるようなものにならないのか?と考える人がいるでしょう。

そういう方には、「ゴルディオスの結び目」という有名な逸話があります。複雑に絡み合った結び目、つまり対人関係における「しがらみ」は、もはや従来的な方法で解きほぐすのではなく、何かまったく新しい手段で断ち切る。

良好な対人関係を結ぶには、ある程度の距離が必要です。距離が近過ぎると、相手と向かい合って話す事が出来なくなる。とはいえ、距離が遠過ぎてもいけない。手を差し伸べれば届く、けれど相手の領域には踏み込まない。そんな適度な距離を保つ事が大切なのです。

「相手の好意を踏みにじる」という考え方は、「見返り」に縛られた考え方です。他者に何かして貰ったら、それを自分が望んでいなくても返さないといけない、と。これは好意に応えているというより、見返りに縛られているのです。

相手がどんな働きかけをしてきても、自分のやるべき事を決めるのは自分なのです。対人関係のベースに「見返り」があると、自分はこんなに与えたのだから、あなたもこれだけ返してくれ、という気持ちが沸き上がって来ます。

これは、「課題の分離」とはかけ離れた発想です。我々は見返りを求めてもいけないし、縛られてもいけない。

アドラー心理学には、常識へのアンチテーゼという側面があります。「原因論」や「トラウマ」を否定し、「目的論」を採る。人の悩みはすべて対人関係の悩みだと考え、「承認を求めない事」や「課題の分離」も、すべてが常識へのアンチテーゼなのす。

※ここの部分は、日本人には受け入れにくい難解な箇所です。他者への関与は優しさであり、見過ごせない日本人の美徳。農耕民族の「助け合いの精神」と、欧米人の、取ったもの勝ちの「狩猟型民族」の違いを感じる。常識へのアンチテーゼの「目的論」も、同じく日本人には、仏教の「原因論」(因果関係)が、身に沁み込んでいるので、「目的論」は、直ぐに理解しがたい。しかし、「原因論」から「目的論」に考え方を変えると、何事もシンプルに考えられるし、自分にとって不幸と思える過去の出来事から断ち切れ未来志向になれるのです。アドラー心理学は、「ライフスタイル」を変え実践出来るには、「それまで生きてきた年数の半分」が必要になると言われる所以です。