嫌われる勇気(8)

2014年10月07日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<台風18号は、沖縄本島を少し離れたコースをとり、大きな被害は出なかった(南大東島のサトウキビ被害と国頭村で荒れた海に近づいていた米軍関係者が波にさらわれて亡くなった)>

第3章 『他者の課題を切り捨てる(4)』 

アドラーの「嫌われる勇気」岸見一郎+古賀史健著より 156~160P

g.承認欲求は不自由を強いる

自分の好きなように生きる事は、言葉通りのように簡単な事ではありません。

それに比べて、他者の期待を満たすように生きる事は、楽です(自分の人生を他人に任せているのだから)。

例えば、親の敷いたレールの上を走る事は、多少の不満はあるにせよ、レールの上を走っている限りにおいて、道に迷う事はない。

しかし、自分の道を自分で決めようとすれば、当然迷いは出て来る。「いかに生きるべきか」という壁に直面するからです。

「他者が見ている事」を頼りに自らを律するしかないと他者から承認される事を目指して、他者の目を「道しるべ」にして生きる人があまりにも多い・・・。他者の視線を気にし、他者の顔色を窺いながら生きる事は、他人の望みを叶えために生きる事です。

他者からの承認を選ぶか、それとも承認なき自由の道を選ぶか?これは重要な問題です。

確かに、他者からの承認には「道しるべ」があるかも知れませんが、これはとても不自由な生き方です。

どうしてそんな不自由な生き方を選ぶのでしょうか?それは、「誰からも嫌われたくない」という気持ちでしょう。

もしも周りに10人の他者がいたら、その10人全員に忠誠を誓う。そうしておけば、当座誰からも嫌われずに済む・・・。

しかしこれには、大きな矛盾が待っています。これは丁度ポピュリズムに陥った政治家のように、出来ない事まで「出来ると」約束したり、取れない責任を引き受けてしまう事になるからです。

その嘘は、ほどなく発覚し信用を失い、自らの人生をより苦しいものにしてしまうのです。

勿論、嘘をつき続けるストレスも想像を絶するものがある。

他者の期待を満たすように生きる事は、自分の人生を他人任せにする事です。

これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方です。

「課題を分離する」事は、自己中心的になる事ではありません。

むしろ他者の課題に介入する事こそ、自己中心的な発想です

親が子供に勉強を強要し、進路や結婚相手にまで口を出す。これなど自己中心的な発想以外の何物でもありません。

不自由な生き方を選んだ大人は、今この瞬間を自由に生きている若者を見て「享楽的だ」と批判しますが、これは、「人生の嘘」です。

自分自身が本当の自由を選んだ大人なら、そんな言葉は出て来ませんし、むしろ自由であろうとする事を応援します。

※「自立」「自律」。自分の人生は自分が選んでこそ、真の人生です。【自己実現の欲求】=バースデービジョンを見つけられた人間は幸せだ。だから、20歳を過ぎたら、真剣に自分の人生の脚本を書く。大河ドラマの主役は自分なのですから。