
▲<14時に、カミンチュウの白い装束をまとった女性達の拝所巡りがスタートしました。>
今年の3月5日は、琉球350年の伝統を背負う民族・信仰の恒例行事である旧暦二十日正月(はちか・そーがち)<旧暦1月20日>の日です。
私が、一年で一番楽しみにしている、那覇市辻2で『じゅり馬』が行われる日なのです。
まず、「神事」があります。
その後に、「奉納演舞」があり、紅型の衣裳にまとった踊り手さん達が20人近く「ユイ!ユイ!」の掛け声で踊る『じゅり馬踊り』は何度見ても感動します。
観るのは、今年で3回目ですが、今年は少し様子が違いました。

▲<昔、寺だった所(民家)で、最初の御願(ウガン)を行います。見物人が約30数名付いて歩きます。>
辻むらの「じゅり」は、薩摩侵攻後、薩摩や中国を接待するために、王命を受けた王女や王女の側女、三司官の娘から始まったと言われますが、後に貧しさの中で、親兄弟の犠牲になり、辻に身売りされた子女が増えて行きました・・・。

▲<「志良堂御嶽」で「ビンシー」(木箱に納められたお供えセット)を出して御願をします。>
彼女たちは、過酷な運命を受けながら、歌舞音曲、料理、躾、言葉づかいなどの教養を身に付け、陰ながら王府の外交・内政政策の守り手として、琉球王国の発展の基礎となりました。そして辻むらを発展に導いた美麗なる先駆者でもあります。

▲<「村井戸」でも、「ビンシー」を出して御願をします(井戸が民家の駐車場隅にあるのと今日は車が駐車していて凄く狭い場所になっていた)。>
『じゅり馬行列』には、肉親を恋うる哀歓が秘められていた事は想像に難くありません。
見物人の中に紛れた、日頃会えない肉親に密かに顔を合わせる事が出来る機会でもありました・・・。

▲<「当森御嶽」下にある祠で御願>
終戦後、沖縄の芸能文化復興を図った時も、縁の下の力持ちとしてその役割を果たしました<(財)辻新思会理事長 島繁子氏趣意書より転用>。

▲<「当森御嶽」を上がる(中腹に数か所の拝所がある)。>
現在、財団法人辻新思会が、先人の畏敬と鎮魂、感謝の念を持って「二十日正月」の行事を継承し、泉下の彼女達に感謝と謙虚な祈りを捧げる事と商売繁盛と豊年を祈願しています。

▲<5名の踊り手が「じゅり馬」を奉納演舞行う。>

▲<「当森御嶽」の頂上にある「辻開祖の墓(4基)」の前で御願。>

▲<「当森御嶽」にある「辻開祖の墓」の前で御願が終わると奉納演舞が行われた>
※後篇に続く。