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第46回「青年ふるさとエイサー祭り」

2010年09月14日 22時00分00秒 | 沖縄現地情報

▲<第46回「青年ふるさとエイサー祭り」>

9月11日・12日に、那覇市奥武山野球場で、第46回「青年ふるさとエイサー祭り」が開催されました。
昨年までは、「北谷球場」で開催されていたが、今年から会場が那覇市奥武山野球場に移った。主催は、「青年ふるさとエイサー祭り実行委員会」(沖縄県青年団協議会、沖縄青年会館、琉球放送、沖縄タイムズ)。

今年は、台風の影響で「全島エイサー」(会場:沖縄市)が、一週間ずれて同じ日の開催となり、大会主催者&参加者は調整に苦労をしただろう。

12日の15時過ぎに、最寄駅の「赤嶺駅」から2駅目の「奥武山公園駅」で下車し、「奥武山野球場」に入った(入場料500円)。丁度、「若鷹太鼓」の演舞が始まった時だった。

▲<「若鷹太鼓」>

途中から、グランドに下りて、「名護市城青年会」、「金武町金武区青年会」、「恩納村安祖青年会」を観た。

▲<名護市城青年会」>
  
▲<「金武町金武区青年会」>
  
▲<「恩納村安富祖青年会」>

▲<スタンドでも、グランドでも観る事が出来る。観客は家族連れが多く、食事をしながら観ている>
17時~18時まで、演舞がなく時間が空いたので家に帰った。
那覇市内の人には、エイサー祭りが奥武山公園で観れるのが嬉しい。
沖縄県青年団協議会の実行委員会の皆さまありがとう!来年もよろしく!




「宮古島初旅行記」その④特別編「かたあきの里」

2010年09月10日 01時00分00秒 | 沖縄現地情報

▲<今年の7月9日にOPENしたばかりの「かたあきの里」>

「宮古島市総合博物館」(平良仲宗根添)を見学に行った。
その手前にある「宮古島市体験工芸村」(藍染・陶芸・貝細工・民具作りなど9つのコースがある)敷地内の植物園を散策しながら、隣接地の博物館へ行った。
「宮古島市総合博物館」は、2つ展示室だが解説のDVDが充実していて、「祭」「宮古上布」「台風」などが解りやすい。一時間以上も見学をした。

▲<「宮古市総合博物館」入口のレトロな郵便ポストと「パーントゥ面」>

 
▲<左「等身大のパーントゥ像」、右「宮古上布」>

帰りに、体験村の駐車場まで車道を歩いていたら、美しい沖縄の民家集落が出現した。
「かたあきの里」という看板があり、別荘の分譲?と思って中に入った。


一番手前の家から女性が出て来たので、「ここはどういう施設か?」と尋ねたら、一棟貸しの宿泊施設だと話された。
長期滞在やショートスティが出来るように、電化製品や食器など完備らしい。
宿泊棟は6つあり、一日8万円(大人12人)~2万円(大人2名)、ウィークリーやマンスリーの割引きあり(詳しい利用方法は、HPをご参照されたし)。



▲<当日は、小雨が降っていたが足元は珊瑚石で水はけが良く水溜りがひとつもなかった。赤瓦と緑の芝生のコントラストが綺麗だった>

「かたあき」とは、宮古の方言で「役割」という意味らしい。
運営母体の合同会社「かたあき」は、2008年に起業・設立し、今年7月9日に施設がOPENしたところらしい。
この施設は、国土交通省が推進する「地域住宅モデル普及推進新事業」として採択され、建物の建材は、山形の金山杉を屋根は沖縄の赤瓦を使用している。
時間が経つにつれて、いい感じになって来るだろう。




説明してくれた人は、垣花優子さんで合同会社「かたあき」の代表社員だった。


※2泊3日の駆け足で巡った、初めての「宮古島」だったが、古い沖縄が残っている美しい島だった。「東平安名崎」「来間島」「伊良部島」は、観れなかったが、次回の楽しみにしておこう。


「宮古島初旅行記」その③「ホテルブリーズベイマリーナ」&「うえのドイツ文化村」

2010年09月09日 01時30分00秒 | 沖縄現地情報

▲<「シギラリゾート」の広大な敷地>

9月4日の午後に、宮古空港から送迎バスに乗り込み、「ホテルブリーズベイマリーナ」へ向かう。
バスは、空港から南部へサトウキビ畑の中、県道202号線をひたすら走る。
最南端の中央に、ユニマットが造った、巨大リゾート地がある。

▲<台風9号も夜の内に抜け晴天へ>
 
ホテルは、我々が宿泊したホテル以外に、高級な「シギラベイサイドスィートアラマンダ」と滞在型ホテル「リゾートヴィラブリッサ」の3パターンがある。他に、ゴルフ場「シギラベイカントリークラブ」、温泉「シギラ温泉」、プライベートビーチ「シギラビーチハウス」、数カ所にレストラン、「琉球の風アイランドマーケット」等々が広大な土地に点在している(各所はすべて巡回バスで行ける)。

沖縄本島にあるカヌチャリゾートに良く似ているが、こちらの方が上手く造られている。

隣接地に突然洋館立てが数棟出現するのに驚く。これがかの有名な宮古の「ドイツ村」である。

▲<広大な土地にヨーロッパの風景が出現する。運営(財)博愛国際交流センター(上野村は、宮古市吸収合併された)>
ただのテーマパークではなく、明治6年にドイツ商船が、中国からオーストラリアに向かっている途中、台風に遭遇して上野宮国沖のリーフで座礁難破した。
それをこの地、上野村宮国の住民が救助、その後一カ月間余にわたり面倒を見て、無事本国に帰国させた。
帰国した船長の報告を受けたドイツ皇帝が、救助してくれたお礼に軍艦を派遣し、宮古島に「博愛記念碑」を建立したいわれのある事業だ(沖縄サミット時には、ドイツの首相がこの地を訪問している)。
 
▲<「マルクスブルグ城」の窓から撮影したドイツ村の風景>

それにしても、一つの村でよく造ったものだ(やり過ぎ)。ホテルはすでに閉鎖し廃墟になっているし、敷地内の土産物屋(テナント)には、ドイツに何の関係もない物品が多く並べられている。

▲<「マルクスブルグ城内のドイツ食堂」>

「マルクスブルグ城」(ドイツの風景絵画がたくさん展示)と「キンダーハウス」(本物のドイツの壁が展示されている)の二つの建物は、有料(800円)だが見学する事が出来る(ドイツ田舎屋敷のビアレストランは、夜間のみの営業)。

▲<海側から見る「博愛パレス館(ホテル)」左下の岩の浸食された箇所がハート型に抜けている>

※次回は、特別編「かたあきの里」です。

「宮古島初旅行記」その②宮古島史跡巡り&宮古上布

2010年09月08日 06時00分00秒 | 沖縄現地情報

▲<「仲宗根豊見親の墓」15世紀末~16世紀初頭に宮古を統治した、仲宗根豊見親の親真誉之豊見親のために築造したと伝えられる墓>

池間島を後にして、県道83号を南下し、宮古島の中心街「平良(ヒララ)市街」へ向かう。

市街手前にある「大和井(ヤマトゥガア)」を見学する。
  
▲<左、大和井の手前にある「ブトゥラ井」、中央「大和井(ヤマトゥガア)」入口、右「大和井」の石組みが素晴らしい!1720年頃の堀年で、一部の上層役人だけが使用したとの伝承ある宮古唯一の井戸>

妻が、市役所の近くにある「エコハウス」を見学している間に、私は、宮古港側にある「アントマ墓」→「仲宗根豊見親墓」→「知利真良豊見親の墓」→「人頭税石」→「蔵元跡」→「漲水御嶽」→「漲水石畳道」を見学する。
 
▲<左「アントマ墓」仲宗根豊見親を元祖とする忠導氏ゆかりの墓で、同氏の継室だけを葬った。右「知利真良豊見親の墓」仲宗根豊見親の三男の墓、1745~1762年まで平良の頭職を勤め造林業や宮古で瓦を初めて製造した>

▲<「人頭税石(ニントウゼイセキ)」143㎝の石柱。15~50歳の男女が課税された>
 
▲<左「漲水御嶽」宮古創世神話などがある宮古最高の御嶽八重山のオヤケアカハチの乱平定出陣にさいして戦勝祈願し、凱旋記念に築いた。右「漲水石畳道」漲水御嶽から祥雲寺に伸びる石畳の跡(一部が残っている)>

第二市役所が、市立図書館仮施設になっているので、少し宮古島の情報を入手に行く。

※街角に建てられている史跡案内看板「平良(ピサラ)綾道(アヤンツ)マップ」の印刷物が市役所にある事を後で知る。それを先にもらった方が解りやすく解説もあり有効です。

市役所で、妻を拾ってペンションへ帰る。
ナビが付いてないので、途中解らない所へ迷い込んでしまった。
途中にあったコンビニで、ビールを買って、再度、午前中通った道に戻り、そこから逆に走ってやっと帰る事が出来た。

いったんペンションで休憩してから、夕方に再度、市役所のそばにあった「宮古織物事業協同組合」へ宮古上布を見学に行く。
  
▲<一階が展示室・売店、二階が作業場になっていて当日も6名の女性が織っていた>

※次回「南西楽園シギラリゾート地区」&「うえのドイツ文化村体験記」へ続く

「市場餃子」開店!

2010年09月03日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲9月1日、那覇市牧志公設市場外の西側に餃子専門店「市場餃子」が新規OPENしました!

餃子の皮は、「ウコン」入りで少し黄色い。中身の「餡」は、適度なニラとニンニクに、「レンコン」がシャキシャキ感を出している。焼く時に、サラダ油を使っているのだろう油ぽくないヘルシーな餃子です。

▲<これが、優れものの電気調理器。油がほとんど飛ばないので清潔な厨房>

味にパンチが欲しい人には、市場餃子特製の「刻みニンニクたっぷりの手造りラー油」を付けると、また違う味が楽しめる。

この店は、我らが仲間の「又吉康文」、「高良幸祐」の仕事です。
高良さんの得意な「昭和レトロ風」に仕上がっている。

▲<店の外にも席があり、夜風に吹かれながら餃子が食べれます>
 
▲<左「私が持参した開店お祝いの泡盛と店長」、右「公設市場側から見た“市場餃子”さん」>

▲<最初は2人前(10個・500円)を注文して下さい。追加餃子から(5個・250円)です。ビール&泡盛水割りは350円◎ライスは希望の人にサービス!>

牧志公設市場に、新たなグルメスポットの誕生です。
牧志公設市場に行った際には、一度立ち寄ってみて下さい(「ちゅら+」のクーポンを持参すれば、一口ビールorソフトドリンクが人数分サービスです)※クーポン内容は、変更があるので最新情報をご覧下さい。

「沖縄マンガ展」

2010年07月26日 07時00分00秒 | 沖縄現地情報

今、沖縄県立博物館・美術館(那覇市おもろまち)で、「沖縄マンガ展」<7月1日~8月29日>が開催されています。

沖縄で戦前の風刺漫画家~現在東京で活躍している作家まで、約50名の原画と作品が出展されています。このような大規模な企画は、今回が初めてとの事。
一堂に集められた作品を観ていると今後、沖縄の漫画界が、さらに発展する可能性を感じます。

⇒「沖縄マンガ」の歩みは戦後沖縄の復興とともに始まります。渡嘉敷唯夫、砂川友弘へと続く風刺マンガの系譜。新里堅進、比嘉慂ら沖縄の歴史性を追求した固有ジャンルの確立。砂川しげひさ、なかいま強、仲宗根みいこ、田名俊信、山咲トオルなど全国区で活躍する作家たちの登場。また全国でも珍しい沖縄発スーパーローカルマガジンと称して80年代に発行された『コミックおきなわ』は、沖縄の強烈な個性を放ちました。さらにアマチュアに視野を広げるとウェブマガジンや高校生のマンガ甲子園での活躍も目覚ましく、沖縄のマンガ文化の層は厚く未知数のパワーが渦巻いています。(県立博物館・美術館公式HPより)

◎月曜日は休館【開館時間】9:00~18:00、金・土は20:00まで(入館は閉館30分前まで)【観覧料】一般800円/高校・大学生500円/小・中学生300円※各種イベントも同時開催中、「漫画講座」8月8日、8月14日(観賞券の半券が必要)、「ワークショップ」8月21日、「コミックチャンプルー」(ストーリー漫画の書き方&マンガ相談所)8月1日、「ライブパフォーマンス」(コスプレ&アニメソング8月15日)、等々・・・。



感想、今回のマンガ展を観て、みんな誰かの作家の画風に似ている(尊敬・模倣の域を出ていないからプロのメジャーとして生き残れない)。今後、もっと独自性の高い若手作家の台頭を期待したい。次回のマンガ展は、県外で活躍している若き日の漫画家志望だった「沖縄出身の芸術家&クリエイター」の紹介も面白いのでは。

沖縄は、日本で一番過ごしやすい?

2010年07月24日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<7月22日朝8時、南の空>

ここ数日、沖縄県外は35~38度の猛暑だ!と、TVで報じているが、沖縄県は、31~28度(風もあり)。今、沖縄は、日本全国で、一番過ごしやすい場所か?

でも、晴天は少なく、曇りがちの日が多い(曇り時々雨)。

こちらは雨が降っているのだが、数10m先は降っていない「片ブイ」という雨の降り方も日常的。
突然に降り出す雨は、スコールで直ぐに止む(雲と雨を含んだ風が教えてくれる)。

▲<7月22日19時過ぎ、夕陽が美しかったので撮影する(夕陽があたる東側の街並み)。>

その後は、雲の間から鋭い陽が差し風も良く吹いているので、道路は直ぐに乾く。
こちらの、女子高生は、セーラー服をぬらしながらも、傘は差ささず濡れながら、平然と歩いている。

▲<7月22日、那覇空港を19時過ぎに飛び立った飛行機>

◎沖縄は、7月28日~8月20日まで「美ら島沖縄総体」です。レンタカーやホテルなど国体期間中は、混み合っているのでご注意下さい(国体を外して来た方が落ち着いて観光が出来ます)。

▲<7月22日19時30分頃、渡嘉敷島に落ちた夕陽>
※すべての写真は、自宅のベランダから撮影したものです。

「ドラゴンフルーツ」の花も咲いています。

2010年06月27日 23時00分00秒 | 沖縄現地情報


梅雨開け宣言が出た6月19日昼に、我が家付近の住宅街道路傍にある「ドラゴンフルーツ」に、花のしぼんだものが付いていた。
再度、別の夜に、近くの畑に植えてある「ドラゴンフルーツ」の花を確認に行きました。
こちらは、満開とまでいかなくても咲き始めていましたので少し撮影をしてきました。
  

  

花は、「月下美人」と同じく、夜に咲きます。
人知れず、夜に咲き、朝には枯れた状態になります・・・。
地元の人もよほど、ドラゴンフルーツの花が好きな人でない限り、咲いたところは観ません(残念)。


※「ドラゴンフルーツ」は、サボテン科の花が咲いた後に出来る果実です(中身は、赤と白がある。赤の方が甘みは多く白は甘みは少ない。6月に入ると花が咲き始め7月中旬~8月に食べられる。






「サガリバナ」が咲き始めました。

2010年06月26日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

6月24日の夜、那覇市内久茂地で飲み会がありました。
帰りは、「ゆいレール旭橋駅」から乗った。
 

 

その理由は、旭橋駅下の広場に、「サガリバナ」の木が3本あり、それが咲きそうだったから。
 

  

夜の10時くらいだったが、先ほど降った雨がサガリバナの花弁に、水滴を付けていて美しかった。その分、匂いは少なかった。

※『サガリバナ』方言名:キーフジ、さわふじ。6~8月に、長さ40~50㎝ほどの房を垂らし、ブラシのような花弁をたくさん付ける。花弁は、バニラのような甘い香りを放つ。花弁は、夜に一晩だけ開花し、朝日に当たると落ちる。西表島では、朝に川の水面に落ちた花弁が下流や海に流れ出てくるのが観る事が出来る。

首里琉染の「中国衣裳展&即売会」

2010年06月15日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報


首里山川町(玉陵・首里高校西側)に「首里琉染」というサンゴ染を製作工房(3F)が、1Fで着物や紅型、生活雑貨を販売している所があります(サンゴ染め体験コーナーは2F)。
京都で京友禅の作家として活躍していた、先代の「山岡古都」が、1973年に私財を投じて沖縄の染織工芸の発展に貢献するために創ったのが「首里琉染」です。


紅型の染織技術発展に寄与しながら、収集した美術品の数々が、今でも「首里琉染」の倉庫にたくさん眠っているようです。




今回は、中国の100年前の貴重な衣裳(保存状態が素晴らしい)を蔵出し即売会を行っています(2F)。期間は、6月12日~30日まで。


観る人が見たら、こんなものがなぜ沖縄にあるの?と、思われるようなモノがあります。
是非、興味のある方は足を運んでみて下さい。

「今年もマンゴーの季節が始まりました」

2010年06月06日 00時30分00秒 | 沖縄現地情報

6月5日(土曜日)は、9:30~12:00まで、コンサルティング契約先企業の事業部部会に出ていた。
午後から小雨降る中、豊見城市にある「道の駅菜々色畑」(JA沖縄豊見城支所運営)に行った。
豊見城市は、沖縄県下でも最大のマンゴー生産地である。
「道の駅」の売り場には、もう「早生マンゴー」が売り出されていた。
 
▲<一個1,750円>

今年は、マンゴーが不作かもしれない。
宮古島から、不作の話が伝わって来ている・・・。
近所で見る露地栽培も、昨年に比べて極端に結実が少ない。

▲<5個入り7,000円>

「オオゴマダラ」蝶

2010年05月11日 00時20分00秒 | 沖縄現地情報

▲<国場川の河川敷にある「漫湖公園」内にある『ちょうちょガーデン』>

私は、最近知ったのですが、那覇市内国場川北岸古波蔵3丁目にある「漫湖公園」内に「オオゴマダラ」がヒラヒラと飛んでいるのを観る事が出来る施設があります。
『ちょうちょガーデン』は、大きなビニールハウスで、無料入場が出来「オオゴマダラ」の生態を間近に観る事が出来る施設です。

オオゴマダラは、開いた羽根が13~15㎝あり、日本の蝶としては最大級です。
大きな羽根をゆっくり羽ばたきヒラヒラと飛ぶ姿は、羽根の模様が「新聞紙」に見え新聞紙が風に舞うように見えるところから『新聞蝶』とも呼ばれます。
東南アジアに広く分布し、日本では奄美諸島以南に分布します。

幼虫は、白黒の縞模様で、体側に赤い斑点が一列に並び体長7cmほど。
キョウチクトウ科のホウライカガミ及びガガイモ科のホウライイケマの葉を食べる。
いずれもアルカロイドを含んでいて、葉を食べる事で毒を体内にため込み、他の動物から捕食されることを防いでいる(この毒は、サナギや成虫にも残っている)。
 <幼虫>

金色をしてる『サナギ』は、葉の裏にぶら下がっていますが、初めて観た人は驚きます。
大きさは、4~5㎝ですが、夏期は12~15日、冬期は25~30日で羽化します。
  

 <右側は、羽化した抜け殻>



  

 <交尾中>

「壺屋にシーサーを買いに行く」

2010年05月05日 12時00分00秒 | 沖縄現地情報

▲<「南ヌ窯(フェヌーカマ)跡」から眺める壺屋通り>

5月4日、長男が友人を連れて沖縄に来た。
その友人は、年末に完成する自宅の門に飾る「シーサー」を探すのが目的の旅。
夕方から那覇市内のシーサー探しの散策が始まった。
宿泊先の「JALシティホテル」をスタートして、「牧志公設市場内」の土産物売り場を散策(数件観たが、本人曰く土産屋のシーサーの顔は厳しくなかった)。
シーサーは、「素焼き」「焼しめ」「陶器」「漆喰」等技法もたくさんある。表情は、作家・工房で異なる。
当人の希望は、「素焼きで表情が精悍なもの」。
壺屋手前の「沖縄スタイル」に立ち寄るが、作品が少なかったので、長男が泡盛談義をし始めた。
壺屋入口にある古美術「陶宝堂」で作家の作品を鑑賞してから「壺屋焼物博物館」に入る。
ちょうど、3階で「国場陶芸所生徒作品展」が行われていた。9年生の作品が気にいったらしい。

▲<女性の作品だが、精悍な顔つきが気に行ったらしい(高さ約30㎝)>

3階から出て、「南ヌ窯跡」を観て、壺屋通りに降りた所にあった「民芸与那覇」に入る。そこにあった焼きしめのシーサーが素晴らしかったが、身体の肉付きが良すぎたので残念する。そこで43cmの1対で24万円位する事や素焼きは外に置いた場合カビや汚れを定期的に掃除する必要がある事を学んだ。

「茶屋すーじ小」の隣にある「育陶園(体験道場)」と「高江洲忠工房」を覗いて行く(表通りから一歩入ると、石垣にオオオイタビが張り付いた静かな小道がある)。

「東ヌ窯(アガルヌーカマ)」へ寄り、やちむん通りに面した「育陶園のショップ&シーサー工房」へ行く。

▲<連休中も作業を行う「育陶園シーサー工房」の若手職人>

「育陶園ショップ」の「焼しめの43cm」が気にいったが、顔の向きと背がもう少し高いものを希望。
 <気にいったシーサーしかし、顔の向きが・・・>

少し足を伸ばして、桜坂にある「国場陶芸所」へ行くが、生徒の作品は作品展に出したものしかなく残念する。

▲<連休中の観光客がたくさん入っていた育陶園のショップ>

再度、「育陶園ショップ」へ戻り、交渉する。
私も聞いて初めて知ったのだがシーサーは、身体は「型はめ」で作製するとの事。
顔や手・足は手造りらしい。だから、寸法は決められている。顔の向きも決められているらしいが、多少の変更は出来るとの事(あくまでも職人任せ)。そこで決定となり、発注をしてシーサー探しの旅は終わった。

▲<育陶園シーサー工房の招き猫もほっとしていた・・・>

屋良文雄さんを悼む

2010年04月25日 01時30分00秒 | 沖縄現地情報

▲<我がマンションの9階から望む4月22日の夕陽。薄曇りの風が強い日だったが、28~23度(湿度80%)の暑い日だった>

もう20数年前になるが、沖縄に3年に一度くらい訪れていた時、夜のコースは決まっていた。
夕食は、安里の「うりずん」。その後に行くのは、泉崎にあるジャズバーだった。
そのジャズバーの名前は「寓話」。
ビルの2階にある喫茶店のような、小さなジャズバーです。
「寓話」のオーナー&メインプレイャーが、屋良文雄さんです。
占領下の米軍キャンプでも弾いていたすごい人で、今でも現役で沖縄ジャズ界の重鎮。
その店では、集った人達が、みんな仲間のような感じで、屋良さんの弾くピアノを静かに楽しんでいました。
私は、屋良さんが観える席に座り、屋良さんがピアノを弾くのを覗き込むようにして聴いていました。
数曲弾くと、泡盛?ウィスキー?を飲みながら、お客さんと語っているのを見るのが好きでした。
その場は、すごくアッホームで、暖かな気持ちになったのを今でも覚えています。

▲<在りし日の、屋良文雄さん。2009年12月那覇市開南「コーヒーハウスぽえむ」にて(琉球新報4月9日追悼記事より)>

沖縄移住して少し経った頃、屋良さんの体調が悪く店に出ていないと、風の噂で聞こえてきた。
その後、昨年9月16日。沖縄に来てから知り合った伊良皆善子さんの「青い目の人形平和コンサート」で、ピアノを弾く屋良さんを久し振りに観る事が出来た。
入院先から一時外出の演奏だった。そして、それが屋良さんを見た最後の日でした。

▲<2009年9月16日「青い目の人形平和コンサート」舞台にて演奏をする屋良さん>

今頃は、天国で先に行った仲間達と演奏をしている事だと思います。
ご冥福をお祈り致します(合掌)。
(屋良文雄:2001年沖縄ジャズ協会会長、2002年沖縄県文化功労者受賞、2010年4月8日死去、享年70歳)

映画『密約』

2010年04月15日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

▲<若き、北村和夫、吉行和子、大空真弓の演技が見もの(特に、吉行和子の演技がいい)>

4月9日、1972年沖縄返還をめぐり日米が交わしたとされる財政負担に関する「密約文書」の公開を求めた訴訟の判決が全面勝訴の判決が出た。

▲<4月9日、裁判に臨む原告達。左端から元毎日新聞記者西山太吉、原告共同代表沖大名誉教授新崎盛暉、原作者澤地久枝さん。4月10日琉球新報より>

この裁判ルーツである『外務省機密漏洩事件』をテーマにした映画「密約」が、22年振りに沖縄でも緊急上映されたので、4月12日、桜坂劇場に観に行った。

当時の東京地検特捜部検事の故佐藤道夫(テレビに正義の味方役で良く出ていた)が、生前マスコミの取材に応え「『知る権利』に、押し潰れそうになったので、空気を変える方法を考えた」との言葉にあるように、法廷は「密約」の真相解明ではなく、「情を通じて」の言葉で、男女の問題にすり替えられ、当時毎日新聞記者西山太吉氏が有罪になった。

澤地久枝さんの本(「密約-外務省機密漏洩事件」岩波現代文庫」を原作に作られた映画を(1978年に、テレビ用映画として35ミリフイルムで製作。88年に初公開)が22年振りに上映されたのを観て、今回の判決に至る長い過程を知る。
映画の中で、大空真弓演じる澤井久代(=澤地久枝)が語った「当時、沖縄基地返還を求める時に必要な費用だと、なぜ言ってくれなかったのか?」に、納得!
この言葉が、当時の政治家から国民に伝えられていたら、その後の沖縄米軍基地移転問題の長期化が、しなかったのでは?
今回の普天間基地の移転費用負担など、もっと形を変えていたと思うと、時間の経過とともに残念でならない。
<4月9日「琉球新報」のインタビューに、答える澤地久枝さん>