
パンフレット表紙
1994年マンデラ大統領が誕生した。
南アフリカは、問題を山のように抱えていた。
不況、失業、犯罪増加それに立ち向かうには、対立する黒人と白人をひとつにする・・・。
大統領就任の翌年、「ラクビー・ワールドカップ」が、南アフリカで開催される事が決まっていた。
マンデラ大統領は、ワールドカップに向けて、南アフリカのラグビー代表チーム「スプリングボクス」に目を付けた。

▲<「スプリングボクス」のユニホームを着て応援するマンディラ大統領>
「ラクビー」は、白人のスポーツで、黒人たちにはアパルトヘイトの象徴。
実態は、長らく国際試合から通報されて、チームは「南アの恥」と言われるほど弱体化しており、黒人は対戦相手を応援していた。
▲<本物のネルソン・マンディラ氏現在92歳。1999年に一期でであっさり引退し、権力にしがみつく指導者が多いアフリカで、異例の潔さだった。その後の指導者は、憲法を改正し連立条項を削除し、白人政権は閣外に去り、マンデラの理想だった「虹の国」は崩れた。指導者は貧しい大衆の生活にあまり関心を払わず、利権をあさるようになり、失業率は40%を超し、治安の悪化が目立っている。>
そんな光景を目にしたマンデラ大統領は、「スプリングボクス」の強化策を打ち出す。
国家スポーツ評議会は、「スプリングボクス」のチーム名とユニホーム&エンブレムを返る決議をした。
大統領は、自ら出向いていきり立つ評議会メンバーに対して、「今は、卑屈な復讐を果たす時ではない」と一喝した。
▲<マット・ディモンが演じた、「フランソワ・ビナール」似てることに驚く>
そして、「スプリングボクス」の主将に対して、大統領室にお茶で招き入れ、獄中で自分に立ち上がる力をくれた詩について話をした。

そして、1995年、ついに「ラグビー・ワールドカップ」が開催され、南アフリカ国民4,300万人が見守る中、世界の歴史を変える「奇跡」が起こった。
この映画は、クリント・イーストウッド監督/製作が、あまり知られていない南アフリカのマンデラ大統領の実話を映像化したものです。

モーガン・フリーマンは、マンデラ大統領役と製作総指揮を担当した。
スプリングボクスの主将フランソワ・ピナール役は、マット・ディモンが演じた。
この二人は、演技力に加え、実物に「そっくり」なのも驚く。
ラクビーの奇跡のドラマとしてではなく、リーダー(統率力)の素晴らしい教本になっている。
・・・「門がいかに狭かろうが、いかなる罰に苦しめられようと、私は我が運命の支配者、我が魂の指揮官なのだ」ウィリアム・アーネスト・ヘンリー