晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 古代の製鉄(1) 4/21

2012-04-22 | 雨読

2012.4.21(日)曇、雨 強風

 古代の鉄に関する書物で雨読で紹介済みのものは以下のとおりである。
 「古代の鉄と神々」真弓常忠  神道学、神道史学、祭祀学
 「和鉄の文化」井塚政義、実業界出身、大同工業大学名誉教授
 「鉄の生活史」窪田蔵郎、明治大学専門部法科卒、鉄鋼連盟入社、たたら研究会
 「鉄の語る日本の歴史」飯田賢一、東洋大学文学部哲学科卒、技術史思想史専攻
 「たたら」黒岩俊郎東大工学部冶金学科卒、技術論、資源論教授
 そして今回は
 「古代の製鉄」山本博、九州帝大法文学部国史科卒、日本考古学協会・日本歴史学会会員、文学博士
 昭和50年9月初版、学生社発行、借本京都市中央図書館

 図書館で借りた本は二度読みをすることにしている。一度読んで重要なところを頭に入れ、二度目はノートを取りながら読むことにしている。その本が手元に残らないので資料として残しておきたいからだ。現在二度目の読書の最中にこれを書いている。P1010540
 今回今までの書物を紹介したのは、著者の履歴、専攻分野を見て頂きたいからだ。「たたら」の黒岩氏のみが冶金学の専攻で金属の専門家であることに注目して頂きたい。
 真弓常忠氏の「スズ」いわゆる水生植物の根に吸着された褐鉄鉱の団塊を原料とし初期の鉄が作られたという説はたたらや砂鉄以前の製鉄として震撼させられた。
 そして今回山本氏による鳴石(なりわ)による古代の製鉄も真弓氏と機軸を一にするものである。山本氏は水碓(みずうす)を使って鳴石を砕き、砂鉄に混ぜて製鉄を行ったものと具体的に述べられており、鳴石の成分分析も行われている。鳴石の鉄の含有量は実に80%もあるのだ。これは東北の大槌辺りで採取された磁鉄鉱、餅鉄にも匹敵するではないか。
 スズや鳴石による製鉄はわれわれ素人はすぐになるほどと納得してしまうのだが、果たして学会というか業界というか、金属の専門的な分野で認められているのだろうかという疑問が生じてきた。
 少なくとも今まで読んできた書物で唯一金属の専門家であるところの黒岩氏の書物の中ではこれら褐鉄鉱からの製鉄というのは見られない。
 わたしが訪れた鳥取県の弥生遺跡、青谷上寺地遺跡のノミと思われる鉄器も弥生時代のものとは言えるそうだが、分析の結果朝鮮半島で作られたものらしいと推定されている。いかなる分析結果だったのか内容は分からない。
 また、2001年に発見された淡路市の垣内(かいと)遺跡についても弥生時代国内最大の鍛冶遺跡ということだが、原料の鉄については他所からの輸入という見方のようだ。
 弥生時代の鉄の原料は半島からの輸入という見方が、学会の見方のようで日本独自の製鉄というのは考えられておらず、前述の両氏の説など無視されているようにさえ思われる。つづく

今日のじょん:じょんくん嵯峨豆腐を食う。
 モモ姉さん一家が来じょんして、上等の嵯峨豆腐を戴いた。前回キムチ鍋にして叱られたので今日はしっかり湯豆腐にする。食療養中のじょんも豆腐ならいいかなと少し御相伴にあずかる。なんとも贅沢なやつだが、「そんなもんよりふつーにジャーキー食わせろ」と言っていた。わわんわおわおわんわわん。P1010538 P1010539

もの凄い風の中でうんPしてんだが、写真じゃわからないか。 

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1 コメント

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はじめての書きこみです。お邪魔します。 (だぶるえんだー)
2013-04-23 23:41:15
はじめての書きこみです。お邪魔します。
わたしは、製鉄の歴史についてあれこれ調べています。中国で、鉄兵器の普及が遅れたのはなぜだろう?と疑問に思いまして。鉄農具は早くに根づいたようなのですが・・・・・。日本史の本も覗いたほうがよさそうですね。山本博先生の本をさがしてみます。
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