晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大雪の記録 1/23

2011-01-24 | 日記・エッセイ・コラム

2011.1.23(日)曇

 朝の外気0℃、室内12℃、湿度60%、昨日から雨が降っており、気温は上がってきたようだ。正月からの雪もおさまり解ける速度も速い。昔なら根雪になって春まで残ったのかもしれないが近年ではそのようなこともない。
上林は雪どころという意識があったので、今年の雪ぐらいが本来の姿かなと思っていたら、なんと1982年(昭和57年)ぶりの大雪だそうだ。29年ぶりというから相当凄い雪なんだ。当時は京都に住んでいたのでそれらしい思い出は何も残っていない。その次が1995年(平成7年)と言うことである。この年は一晩で一気に降ったということだ。公式な記録ではないが昭和9年に中上林で120cmの積雪があったという。
 全国の記録などを調べてみると、豪雪は三八、四八、五六、五九、平成18ということだ。上林の記録とズレがあるのはやはり積雪は地域的な差が大きいためだろう。Img_2037 Img_2073_2 Img_2088 Img_2118 Img_2134 Img_2185 Img_2191 Img_2208_2




 元旦から20日までのじょんのびの木の周辺の写真である。雪国の風情が現れている。


 よく知られているのが三八豪雪と呼ばれるもので、日本海側はもちろん九州南部まで記録的な降雪があったそうで、特に福井県の被害は大きく、福井市で213cm、今立町(現越前市)315cm、敦賀154cmなどの記録があり、福井県だけで死者31名(全国では228名)という惨状だったそうだ。私は小学校6年生ということになるが、三和町にいて一度だけ雪下ろしをして、かまくらなど作った思い出があるが、これが三八豪雪だったのかもしれない。
 豪雪の思い出はひょっとしたら四八豪雪かもしれない。例年のごとく戸隠にスキーにいっており、さあ帰ろうかというときに怖ろしい雪が降り、あっという間に戸隠村は孤立してしまった。もともとバスしか交通の便はなく、そのバスが停まった日には身動きがとれない。宿を延泊し、なすこともなく過ごしていた。スキーをしようたって視界は数メートル、リフトより雪面が高くなるような状態でスキー場には誰もいない。ようやく道路が開通し、長野に出て信越本線で直江津に向かった。とにかく列車より雪の壁が高くて、車内は真っ暗、まるでトンネルを走っているような感じだった。駅に着くとホームのところだけ視界が開ける状態で、こんな積雪は後にも先にも憶えがない。
 冬山に通っている頃はもっと凄い雪に逢っているのかもしれないが、山では建物があるでなく積雪の度合いはよく解らない、ただし一晩の内に1m程度のテントはすぐに埋まってしまう。そのために夜中に何度も起きて除雪をするのだが、これって凄く辛かったのを思い出す。
 てなわけで上林の雪なんざ別にどうってこと無いというところか。

今日のじょん:雪の間はどうしても運動不足になる。散歩の距離も短くなるし、行けるところも府道沿いの歩道だけになるわけだ。一昨日はせめて休みの日にはと、念道橋まで足を伸ばしたが、誰も歩いていなくてラッセルが大変。Img_2219


念道橋は雪で欄干が埋まりそうでちょっと危険。(1.21撮影)

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