晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

最近の新聞から 6/5

2011-06-06 | 日記・エッセイ・コラム

2011.6.5(日)曇

 新聞は休刊日を除いて読まない日は無いが、朝の食事時の10分ぐらいである。まあほとんど見出しを流し読みして、興味深いものだけ読み、より興味深いものは切り抜きにする。最近は政治のどたばたと阪神の情けない試合で新聞を見るのも億劫になる。
 最近の切り抜きはやはり原発や震災関係の記事が多い。その中で歴史的な研究で過去の地震や津波のあったことが次々と出てきている記事がいくつかある。
 「そんなことが解っていたのなら、震災前に発表しろよなあ」と思うところだが、発表はされていたが無視されていたのが実状だろう。先日若狭湾の津波についての16世紀の天正地震による大津波のあった記事を書いたが(2011.5.28)関電は内陸型の地震なので問題なしとしてきたという苦しい答弁をしていた。大津波のあったことがはっきりしているのに現在の想定値は歴史を無視した暴挙といえよう。Img_3036
 6月1日の讀賣新聞に平安大震災という連続記事がある、今回が第三回ということで5月18日の第一回からの記事を探し出して切り抜きしている。これは平安時代の869年に陸奥国を襲った貞観(じょうがん)地震に関する古文書や調査の記事である。第一回では、古文書「日本三代実録」から貞観地震の実態を述べ、災害に対する朝廷の動きなど紹介している。それにしても9世紀の後半というのは恐ろしいほど地震や噴火が起きている。噴火は富士山、阿蘇山、鳥海山、開聞岳、八ヶ岳と日本の著名な火山が軒並みであり、出羽、越中越後、播磨、相模武蔵、出雲、平安京などと全国で大地震が起きている。大阪湾の津波の記録もあるようだ。うち続く大災害が律令制度の崩壊等政治面に、怨霊思想や浄土信仰などの文化面に大きく影響していそうだ。
 二回目は地層による津波の調査から、今回の津波が貞観地震と同等、あるいはそれ以上というようなことが書かれている。調査に当たった教授が、論文が出たばかりで行政などの避難計画に活かされなかったという風に述べているが、充分に時間があったとしても行政がそれを活かしたかどうかは疑問を感じる。
 第三回では貞観地震の多賀城の被災をテーマにしている。今回の津波が到達していない地域での被災の報告である。噴砂や津波堆積物などの発掘の他に、臨時の墓地、それも100基という大規模な墓地を報告している。この墓地が下級官人や庶民のものというから驚きである。平安時代に庶民の墓地というものが存在したのだろうか。記事にはそれ以上書いてないので、あるいは遺体埋葬所というべきものではなかろうか。
 また朝廷は陸奥国修理府を設置して復興にあたったという。新羅人瓦職人10名の派遣について、「隣国の助け」というみだしで丁度今回の海外諸国の援助と同様の状況を思わせているが、政治的歴史的には少し状況が違うのではないかという気もする。

【作業日誌 6/5】
第二木小屋増設準備
年金裁定請求

今日のじょん:ダニ事件その後
おとーの足にダニがくっついて以来、じょんのペットゲートは閉ざされて元のスペースから出られなくなった。
 「ベルリンの壁も無くなる時代に、、、」とかみさんは言ってるが、人間用フロントラインが出来るまでやむを得ない。Img_3028


こころなしかいじけているみたいだ。

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