晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

あなしら上林-10 6/27

2015-06-27 | あなしら上林

2015.6.27(土)雨  あなしら上林-9は2015.5.21

 かんばやし里山新聞第9号(2015.6.18)が発行されたので、あなしら上林-10を公開する。
 あなしら上林-9は2015.5.21に公開
 

あなしら上林 小原英明
二、生守山 その七

 山が丸いのはなぜだろうなんて誰も考えることはあまりないだろうが、この生守山に出会って始めてそんなことを考えた。山と言うのは概ね頂上の尖ったものが多い、生守山が目立つのも周りの山々が尖っているからだ。全国に分布する飯盛山もおそらくその多くは尖った山だと思う。しかし頂上の丸い山もかなりの数に上るようだ。飯盛山の特徴は頂上が丸いか尖っているかではなく、どこから眺めてもその山が認識できる形であることだと考えられる。

(写真-1 高浜町今寺からみた生守山・中央のポコンとした山)

 岩田女史の論文に出てくる飯盛山の写真を見ると、いわゆる三角錐の神奈備形(かんなびがた)と岩峰タイプのドーム形に分かれるようである。
 生守山に向かって歩きながら、小滝先生(理学博士、地学の専門)に聞いた。 
「先生、生守山が丸いのは岩塊で出来ていて一方的な浸食が無いからですかねえ」
答えは正解だった。岩塊で浸食を受けにくいので一部分が極端に浸食されることなく、丸い形になるわけだ。でも現実に生守山に取り付いてみると、裾の方は土壌の部分となり、浸食を受けて谷が形成されており、岩塊の部分でも丹波側が風化が進み、若狭側は原形を残しているというような差が現れている。
 この日(2015.4.28)小滝先生とわたしは三度目の生守山登山を行っていた。目的は、サンドラ岩は枕状溶岩(まくらじょうようがん)か柱状節理(ちゅうじょうせつり)かを確かめるためである。
 最初に先生とこの山に登ったとき(2012.4.24)丹波側のガレた岩くずを観察しながら、「枕状溶岩かもしれませんねえ」とおっしゃっていた。しかし若狭側のサンドラ岩本体を見られて「柱状節理かも?」という気になられたようで、その日のブログには「柱状節理?」というタイトルで書かれていた。次の山行が雷で引き返したため、実に三年間気に掛かっていたことを今回確かめることとなったわけだ。
 地学に興味の無い者にとってはどうでもいいようなことだけれど、学問上はやはり重要なことらしい。柱状節理は近隣では玄武洞や夜久野玄武岩公園などでおなじみで万人の知るところだが、枕状溶岩というのは溶岩が海底や湖沼などで急激に冷やされてできる溶岩流の団塊とでも言うもので、京都府レッドデータブックには右京区京北芹生(せりょう)にみられる。

(写真-2 ご存じ玄武洞)(写真-3 白石市小原材木岩柱状節理)

 実はこの二つは溶岩の冷え方、固まり方の違いであって、元々は同じ溶岩であることだ。違うものができるのは噴出した場所の環境や粘性の違いから来るものと考えられる。では生守山のサンドラ岩は一体どちらなのだろうか。つづく

 【今日のじょん】血行促進剤は良かったんだが、ビタミン投与は失敗だった。下痢、軟便、嘔吐の副作用が出て大変なことになってしまった。少しよくなり始めていただけにショックは隠せない。とりあえず薬は中断し、便の様子を見ることにした。どんな薬にも拒否反応示すので、薬物療法は困難な様子だ。「自分の力で治すんやで」と言い聞かせてみたが、困ったものだ。かみさんが自分のゴルフ肘だかテニス肘だか知らんが使っていたサポーターをはめてやっていた。

おいおい、そこは腕神経叢(ワンしんけいそう)とはちがうで、、、、違腕なんちゃって。

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