晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続・丹後風土記残欠は偽書? 1/21

2011-01-22 | 歴史・民俗

2011.1.21(金)曇

 風土記とは元明天皇が713年に官命を出し、各国に編纂を命じたもので、出雲、播磨、常陸、肥前、豊後などの国のものが残っている。ただし他の国のものについても逸文として他の文献に残っているものもあるという。その一つが丹後国風土記でいわゆる「丹後風土記残欠」と呼ばれるのがそれに当たる。
 ところが各国の逸文なるものの中には本来の風土記の記述としては疑義が持たれるものもあるそうだ。これまたその一つが「丹後風土記残欠」であって、実に明治34年に村岡良弼が「丹後風土記偽撰考」という論文を出しているそうだ。加藤氏は「地名探究」の中で、村岡氏が明快に偽書であることを論証したと言っている。その論証の内容は定かでは無いのだが、続けて書いてある二つの偽撰の根拠であろうと推測される。
 ここで少し気になるのだが、偽撰と偽書はどう違うのだろうか。撰とは著述する、編集する、選ぶなどの意味があるが、撰進とは「詩文や書物を作り、天子に提出すること。」とある。(漢語林)。風土記が官撰と呼ばれる意味はそういうところから来ているのかもしれない。加藤氏が意識的に偽撰と偽書を使い分けておられるのかどうか解らないが、偽撰とは正式に天皇に提出された書物でないもの、偽書とは個人がまるきりでたらめの内容を記述した書物という風に理解できないか。
 
 加藤氏が丹後風土記残欠は偽書であるという根拠としてあげているのは次の二点である。ただし論文中には「1 偽撰の根拠1、2」という風に記されている。
根拠のひとつは、残欠の田造郷の項についてであり、「田造」という郷名は「田辺」の間違いであり、「高橋郷」も正しくは倉梯郷であるというものだ。「和名類聚抄」の底本が誤植であることを知らずに創作したものだろうと推測されている。
 今ひとつの根拠は奥書の偽造というものである。
「右一巻雖落丁多錯簡不少一宮本与大内武波氏本校合畢・・・」という漢文の「以」が目的語の次に来ることはない。安土桃山時代の最高の知識人である素然がこのような文章を書くはずがないというものである。
 この二つの根拠についてその適否を云々する知識は今の私には無いが、おそらくこの根拠が村岡氏の「丹後風土記偽撰考」にあるのだろう。つまり村岡氏の論文によって、偽撰であることが通説となったと理解して良いだろう。「丹後風土記残欠」は官撰の「丹後国風土記」の逸文ではなくて、その後に創作された書物だろうという事なのだろう。
 ところが加藤氏のこの論文の趣旨は偽撰ではなくて偽書であるということのようだ。この二つの偽撰の根拠があるから他の文書も総て疑わしいということだ。ここのところは重要だから原文を紹介しよう。
 
しかしながら、なによりも「田造」「高橋」の偽造がある以上、「残欠」全文が疑惑のベールで覆われている。だから、他の資料で真実の史料であることの証明をしない限り正確な史料としては使えない。すべてが「偽造と疑うべきもの」となっているからである。
 つづく

今日のじょん:じょん語録(57)なべねこじょん
じょんの誕生日にとかみさんがヒョウ柄のベッドを買った。誕生日はまだ二月も先だと言ったら、誕生日頃には売り場に無くなってしまうそうである。最初クンクンと臭いでいたが、妙に気に入って、もうすっかりなべねこになっている。Img_2226

 

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