晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

丹後風土記残欠は偽書? 1/20

2011-01-21 | 歴史・民俗

2011.1.20(木) 曇

 大唐内のことも29回を重ねることとなり、休憩のつもりで史料のことについて少し書いてみたい。大唐内を含めこの地域の古代を探るとき資料とするものは多々あるわけだけどなかなか手に入れるというのは難しい。もちろん金に糸目を付けずに購入するなら買えないわけではないけれど、残念ながらそのような余分な資金は無い。そんなわけで図書館や郷土資料館などに通って閲覧するしかない。ところが、閲覧した資料や借りた本などはちっとも頭に入らない。持っている書物でもどこかに書いてあったなあと何度も探すわけである。図書館や資料館にある書物ではどうしようもない。そういうときにインターネットで公開されている古文書などは大変便利である。
「鼓銅図録」「金銀銅鉱山見分秘伝書」「佐渡鉱山金銀採製全図」など我々一般人には見ることのできない古文書がインターネットで見られるのはありがたいことである。丹波の研究にとって重要な「丹波志」についても京都府資料館のサイトで閲覧することが出来る。
 この地方に限った手持ちの資料、史料と言うべきかな、は何鹿郡誌、綾部市史(上下資料編)、三和町史下巻、奥上林村誌、中上林村誌、舞鶴市史資料編、上林七里野といったところか。ところが古代のこととなるとこれらの史料も「丹波負笈録」「丹波志」「丹哥府志」「丹後風土記残欠」などの古文書に依るところとなっている。
 ここで京都地名研究会の会報第七号(2009年発行)「地名探究」に地名研究における近世地誌という表題で丹後風土記残欠が偽書であるという論文を見つけた。
舞鶴歴史研究会会長の加藤晃氏の論文である。Img_2225
 
地名探究七号


大変ありがたい史料だとして参考にさせてもらっている者にとってはショッキングなことである。古文書の真偽論争としては「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)が有名であるが、丹後にも同様の問題が発生したのかと興味深く論文を読ませて貰った。実は「丹後風土記残欠」が怪しいという情報は従前から見聞きすることがあった。しかしその内容はというとよく解らなかったのだが、今回の論文で概ね理解することができた。つづく

今日のじょん:今日もゆきちゃんが来た。なんでもバブルさんでシャンプーして貰ったとかでえらいべっぴんさんになっている。Img_2217  

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