2014.8.6(水)曇り
両墓制については嫌気がさしていた矢先に、もう一度研究してみようという気になったのは、穴虫地名の研究がきっかけである。「穴虫考」として執筆中であるが、穴虫地名を調べていると穴虫地名ー穴地形ー葬地地名と連なるパターンが共通していることに気がついた。このパターンを穴虫パターンと名付けて研究中だが、穴虫と葬地の関係が詣墓と埋墓の関係と似てはいないかというのが再度両墓制について研究を始めるきっかけとなった。
両墓制といったってその教材は周囲にいくらでもあるが、さて一体何なのかということになるとよく解らない。
民俗学の世界では大正時代から研究が始まっているが、当初はやはり奇妙な風習としてのみとらえられていたようである。昭和に入って柳田国男氏が「葬地」「祭地」という概念を付与し、大間知篤三氏によって「両墓制」と名付けられることとなった。第一次墓地、第二次墓地という概念もこの辺りに出てきたようである。
大間知氏が、「両墓制ないしはその母型と言うべきものが我が民族のかなり古い伝承に属しているのではないかと想像している」と言っておられるのは当初わたしが陥った思いと同じではないかと思うと同時に、両墓制という一見奇妙な風習について誰でもが持つ思いなのではないだろうか。そして大間知氏が石塔以前の第二次墓地として大島のニソの杜などを想定されていたというのは興味のある所である。
大島(おおい町)にはニソの杜と呼ばれる杜が存在し、多くの調査報告書も出ている。
この時代の研究を新谷尚紀氏は、「現実の形態の分析の前に概念付与が先回りしている」という風に書かれている。将にその通りで、その後大間知篤三氏によって名称、所在地、墓標、第一次墓地に参る期間、物的関連、現在の傾向、分布の7項目を設定して全国70ヶ所の両墓制分布図を作成された。その結果は「民俗学辞典」(民俗学研究所編 昭和26年)に掲載されている。
60年以上前の辞典で学説などかなり変遷しているが、当時の民俗や通説など参考になるかと所持しているがあまり使ったことはない。つづく
【作業日誌 8/6】薪割り、剪定(玄関坂、ユーカリ他)
【今日のじょん】
メーパパが蛇瓜を持ってきた。ずっと前なんだけど、あやべ市民新聞に掲載されるとのことで、掲載後に公開する。何とも気味の悪いもので処分してくれとかみさんに言われている。種の欲しい人は今のうちに取りに来てちょうだい。
毎日拝読しております。
ジョン君が元気で何よりです。
ところで蛇瓜ですが、美味しいそうですよ♪
カレー、スープ、炒めものなどにできるようです。
試してごらんになっては?
ちなみに、インド原産の植物なんですね。