晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(21) 穴虫-1 9/5

2013-09-05 | 上林地名考

2013.9.5(木)雨

 「大和の原像」(小川光三著)はいわゆる太陽の道の発見に至る内容で、もっとも感動的な書であった。「雨読」(2913.8.10~12)で既に紹介しているので省するが小川氏の発想力には驚くものがある。多くの読者が三輪山や二上山の不思議に感動しているさなかに、わたしは穴虫峠がいたく気に入った。
 伊勢斎宮に始まる太陽の道は幾多の神社と遺跡を通り、穴虫峠に消える。もちろん更に西に続くのだが、大和から見れば太陽は穴虫峠に落ちるのだ。
 穴虫の由来について、香芝市のホームページでは「穴に伏す低地の地形」ともっともらしいことが書かれているが、小川氏は実に素晴らしい発想をしておられる。

 
 
古代の人々の考えていた宇宙観では、西海に大穴があり、東から出た太陽は天空を横断してこの穴に入り、翌日ふたたび東より現れると信じられていたという。
(中略)とすれば大穴道とは(※事前に大己貴命の語源はオオアナミチではないかと書いている)太陽の落ちる大穴に至る道の意と考えられる。この穴道がアナムチと発音され、やがてアナムシと変化したのが穴虫の語源ではないだろうか。(P56)


 随分斬新な発想で、いわゆる地名の学者には指示されそうにないが、わたしはこの説を信じたい。夢があるとかないとか言うことではなくて、もし穴に伏す低地の地形などという地形地名であったら、もっと数多くある地名となるだろう。確かに深い谷などで穴のような地形は穴谷などという地名が付くことはあるが穴虫というのは無い。
おそらく穴虫なんて地名は他には無いのかもと思っていたところで偶然穴虫地名を見つける事になる。
 太陽の沈む大穴の先は黄泉の国とされ、古墳や御陵、墓地が沢山造成されている。これと同様の状態が、南丹市八木町日置大送神社と美里の西光寺、飯盛山にあるのではと予想を立てた。そのためには古代においては西に当たる園部より、八木町桂川方面が主要な地域でなければならない。
 太陽の落ちるある地域の西の端はそれより西の地域にとっては東の端となるからだ。文化博物館で、丹波国の国府や国分寺跡は亀岡市にあると聞く。
 それで亀岡市付近を地図で調べていて穴虫を見つけたのだ、それも二ヶ所も。P1060764
P1060795



亀岡市にある二ヶ所の穴虫。

【今日のじょん】もう四日間も降り続いただろうか、やっと小康状態となった。上林川の水位も最高値になったので散歩時に河原に下りてみる。一番降ったときにはじょんの居る位置まで来ていたのでさほどという感じだ。P1010060

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日置のこと(20) 畑地名... | トップ | 日置のこと(22) 穴虫-... »

コメントを投稿