晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

鳥垣のこと(4) 1/6

2012-01-06 | 上林地名考

2012.1.6(金)晴

 奥上林村誌を見ていると、二十八水後の河川改修図が出てきた。旧の水流と改修後の河川が記してあるのだが、草壁川と上林川合流地点はかなり流路が変わっている。現在は草壁と庄の間あたりから合流地点まで約700mはほぼ東西に直線の流れとなっているのだが、旧の流路はその間二度の蛇行を重ね、合流地点は上林川が最も東に出っ張ったところ、現合流地点から100m程上流の様子である。草壁川は現流路より北側にあって、鳥垣を直接侵食していたとは考えられない。
 しかしこれは二十八水以前のことで太古の流路は解らない。地質学的に調査すれば解ることだろうが、それらしい資料も見つけられないので、想像をたくましくする以外にない。
 地形図を穴の開くほど眺めていると色々のことが解ってくる。例えば先に紹介した環流丘陵だが、これは未発達のものも含めてすべて上林川の左岸に存在している。つまり上林川の蛇行は左岸側、概ね南側が大きいということだ。これは地質の違い、もしくは傾斜の問題だろうと思う。いずれにしても左岸の蛇行が大きいことは間違いないのだから、鳥垣の北の上林川の蛇行が大きく東に曲がっていたと予想することは可能である。現在その蛇行が小さくなっているのは草壁川の押し出した多量の土砂によるものと考えられる。P1000753
 
雪の鳥垣、白い丘が坂尾呂の里、旧の草壁川出合いはこの下辺りか。(睦寄橋から)


 さすれば鳥垣は蛇行した上林川の浸食を多分に受けていただろうと予想できる。しかし両河川によって運ばれた肥沃な土砂は古代の農耕にとっては最も大切なものであり、多くの古墳に見られるように文化が花開いたところとなったのではなかろうか。
 鳥垣地名の語源となる候補をいくつか挙げたのだが、わたしはこの浸食地形の語源が最も有力だと思っている。各地の地名を調べていると浸食、崩壊地形に由来するものが一番多いようである。それは日本人が自然災害、特に水害と闘ってきた証左でもある。
 崩壊地名、浸食地名って縁起悪いなあと思われるかもしれない。和同五年の二字佳名の令はそんなこともあって出されたのかも知れない。しかしその災いをなす水が豊穣な土地を育むことも事実であるし、なにより水無しでは生きていけないのである。

今日のじょん:雪の散歩道は獣達の行動がよく解る。狩猟採取の縄文文化が北国に花開いたことがよく理解できる。じょんと一緒に獣達の行動を探ってみよう。
P1000744 P1000745 P1000747
 



枡ヶ原の田んぼは完全に柵が張られたにもかかわらずイノシシの独壇場となっている。ではどこから侵入しているのか。折山方面には足跡がない、上下どこかに侵入路があるはずだ。つづく 

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