2013.10.9(水)雨後晴れ
神社の右の道を上ってゆくと飯盛山登山道となる。登山道といってもほとんどが階段で歩きにくいこと甚だしい。傾斜が急で、崩壊を防ぐためにはやむを得ないことだ。
階段登山道は辛い、道中にいたのら猫。
時間的制約があるのでいいペースで登ってゆくが、とにかく暑い。ジーパンでは仕方が無いか。汗びしょになって尾根に上がると少し風も出てきた。ぽこぽこと小さなピークを越えると、展望台に出る。西側の展望は最高で、晴れていれば高槻辺りから淡路島辺りまでの山々が遠望できるのだろう。今日は曇っていてかすんでよくわからない。真西には摩耶山が見えるはずなのだけど。
展望台から真西、西南西方面、うっすらと山影が見えるだけ。
南には小高い丘が見える、あれが頂上かなと思い歩を進める。降りて登ってたどり着くと磐座らしきものがあり、何か記念の石柱が立っている。これだけ多くの人に親しまれている山だから、山頂なら山頂と示されているはずだ、でも約束の時間は来ているので、今日はここまでにしておこう。南面にもこもことした林が望まれて、それが頂上かも知れない。しかしこの磐座は何だ。
頂上手前の岩塊のピーク、「参百回登山記念」という個人の石柱が建っている。岩の向きに何か脈絡がないか方向を調べてみる。
道中花崗岩の岩塊が転がっているのは見かけたが、ここまでまとまって積み上げられているのは不思議だ。自然の石積みとしてはやや不自然な気がして観察するが、何とも言えない。突き出ている岩の方角など見てみるが脈絡はなさそう。
岩田女史の説では飯盛山の頂上に人工的に手を入れたところがあるということだ。こういう感じかなと眺めるが結論は出ない。でもこういうものが測量のために人工的に作られていたらと考えると、なにかわくわくするものがある。最近耳にするペトログラフとか盃状穴が無いものかと目を凝らすが、そんなに簡単にそういうものが見つかるはずがない。人工の可能性は高いと思うが、登山記念の石柱を立てたお金持ちがその辺の石を集めたものかも知れない。
時間が気になるので下山することにする、携帯電話を見ると圏外となっている。眼下に街が拡がっているだけに不思議な感がする。
下山中に出会った人に聞くと、やはり先ほどの場所は山頂ではないようだ。
思うに古代測量の基準点とする場合、必ず最高地点である必要は無いわけだし、あの岩塊のピークが人工のものとしたらそれが基準点であったかも知れないなと仁和寺の法師になったことを慰める。
時間が気になるので転がるように下山する。暑くてたまらないので上半身裸で下るが、何人か登山の人に出会って困ってしまった。
行きがけに気になっていた古本屋で柳田国男集を見つける、各200円というので2冊買った。同時に携帯電話が鳴った。終わり
らしい古本屋さんで柳田国男集を購入。
【今日のじょん】朝から台風23号の雨風が強い。前回被害に遭った地域では余計恐怖だろう。幸いすぐに治まって晴れ間も出てきた。じょんはマイフリーガードをし
たところなのでレインコートを着せられ、いきなり草を喰っていた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます