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晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続・阿弖流為  2/2

2013-02-03 | 歴史・民俗

2013.2.2(土)曇

 昨日ドラマ、アテルイ伝が最終回を迎えた。壮大なドラマなんだが4回で放映するのは少し無理があるのかも知れない。何となく尻つぼみの感が無いでも無い。
 その前日にBS歴史館で歴史家などを交えて座談会的な番組があった。考古学的な発掘の結果なども踏まえて、大和朝廷による蝦夷侵略を紹介していたのだが、その理由というのははっきり解らない。むしろ番組の目的がそんなところに無かったのかも知れないし、何しろアテルイについても戦いそのものについても史料ほとんど無いわけだから、それ以上のことが解るはずも無いということだろう。Img_1341
 



2006.10.21、自転車で花巻から一関まで北上川沿いに降った。この地がアテルイの本拠地であったことも、アテルイそのものについても知らなかった時であり、写真を見ながら今更ながら想いを馳せている。

 番組の中で相馬の製鉄遺跡のことが出ていた。朝廷軍の武器調達の遺跡と言われていたが、残渣などを見ると銑(ずく・銑鉄のこと)がほとんどで、刃物を作ったというよりは梵鐘や仏具、鍋釜や農具などの鋳物を作ったのではと言われていた。銑だから鋳物と言うわけでも無い、酸化脱炭すれば鋼鉄も可能なわけだ。しかし、もし寺院造営に関する鉄製品を作っていたとしたら、仏教による精神的支配、蝦夷の神を否定する民族の全面的屈服をもくろんでいたと考えても良いのだろう。
 蝦夷侵略の目的はその地の金属という見解が多い。「鉄と俘囚の古代史」の柴田弘武氏は鉄がその最大の目的と言われているし、谷川健一氏は非鉄金属、金、銀、銅などと主張されているようである。Img_1349
 



黒沢尻から西に入る和賀仙人周辺はは鉄、銅の鉱山が目白押しである。こういった鉱物資源が狙われたのだろう。(北上市立博物館で)

 番組の中でも蝦夷の俘囚が都の役人に蕨手刀(わらびてとう)を献上する場面があったように、都の支配者層では蕨手刀を持つことが流行したそうである。それだけ東北地方に産出する鉄と製鉄、精錬の技術は優れていたものがあるのだろう。
 金にしてもそれによって東大寺の大仏が鍍金可能になったように、東北産の金は注目されていただろう。
 「理系の視点から見た「考古学」の論争点」(新井宏著)のなかに、「国銅尽して鋳佛を止む」という記事がある。東大寺大仏の銅は山口県の長登銅山からもたらされたものだが、そこに銅を使ってしまい、その後の平安時代は歴史上最も銅生産の少ない時代となっている。ところが時代は大寺院の建立こそが権力の象徴という時代になっている、そのためには銅は欠かせないものとなっている。
 桓武天皇の蝦夷侵略の最大の理由は銅ではないかと思うところである。
 
 ところが蝦夷侵略はなにもアテルイとの戦い20年余りだけではなく、前後何百年も続いている。その時代時代の経済的欲求というのはあるのだろうけど、やはり根底には思想的なものがあるのだろう。それは皇国史観である。
 それは蝦夷だけでなくそれ以前に行われた熊襲や出雲の平定、鬼伝説に残るような各地での原住民への侵略などすべて同様の思想の元に行われたのではないだろうか。
 大和朝廷が権力を握るようになった時代から皇国史観というのは醸成され、桓武天皇の時代に古代に於ける確立がなされたと考える。その中心的な思想は、天皇は神聖であるということと、日本古来の神であると言うことである。このことこそがまつろわぬ民族を侵略し、化しなければならない根源ではないだろうか。
 何かの本で、桓武天皇の時代に天皇家と渡来人の関わりを示す文書が一切焼かれた焚書事件のことが書かれていた。何に書かれていたか思い出せないので探している最中なんだが、この時期に渡来人に対する差別が始まっているのは事実のようである。天皇家が日本古来の神聖なる氏族であるとするなら、本来の日本古来の民族である蝦夷は抹殺すべきと考えるのは当然の成り行きかとも思えるのである。
 日本人を不幸に陥れた皇国史観の萌芽がこの時期にあったことを忘れてはならない。

【作業日誌 2/2】
ウッドデッキ、植木穴周辺

【今日のじょん】:昨日は朝が冷え込んだ。なんとかデッキに登らせようと、ボールでつるんだけど、結局ダメ。がんこなだけでは叱られます。P1030804 P1030805 P1030806

 
 

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