晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 パンツをはいたサル 12/4

2019-12-04 | 雨読

2019.12.4(水)曇り

 「パンツをはいたサル」ー人間はどういう生き物かー栗本慎一郎著 光文社昭和56年初版 府立図書館借本
「サルにパンツをはかせると一週間で死んでしまう」という奇妙な話がこの本に載っているというのを他の本で読んで、急遽取り寄せて読んでしまった。表紙、裏表紙にはパンツをはいたサルの写真が載っているのだが、サルにパンツをはかせた記事はどこだか分らなかった。それほど他の記事の内容に惹かれたのかもしれない。パンツをはいたサルが一週間で死んでしまうのなら、猿回しのサルはパンツをはいていたかなあと考えてしまう。

 著者は明治大学法学部の教授で経済人類学の旗手ということである。経済人類学というのがどういうものかわからないが、読み終えるとなるほどという感がする。サブタイトルのとおり、人間はどういう生物かということを追求しているのだが、自然界に生きるサルがパンツをはいたものが人間であるということになる。ではパンツとは何なのか?無駄なもの、余計なものと解釈して良さそうだ。
人間と人間以外の動物を分けるものをパンツに例えている訳だ。本来の人間が生きていくだけなら太陽エネルギーで十分なんだが、現在の人間は石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料エネルギーや自らを滅ぼしてしまうかもしれない原子力エネルギーまで動員してまだ足りないと言っている。生存するだけなら不要なものをせっせと蓄積して、そしてある日ため込んだものを一気に蕩尽(とうじん:使い果たすこと)するのが人間の本性であると説かれる。リオのカーニバルなど参考になるだろう。そして蕩尽の最大のものが戦争である。戦争は人間の本性に基づいているから無くならないのだと。
 戦争におけるパンツとは武器であり、お金であり、文化であり、建造物であり、あらゆる贅沢品でありそして人命でもある。あらゆるものを蕩尽するのが戦争である。動物は生存し、子孫を残すに必要なもの以外は作らないし、所有もしない。そこのところが動物と人間を分ける重要な相違点で、そのものをパンツに例えている。パンツに例えられたのは、お金、神経症、法律、道徳そしてパンツ。確かに動物たちには不必要なものばかりだ。
 なぜパンツが不必要で無駄なものか、これは興味深い課題である。この章は「なぜ、ヒトは無駄なセックスをするのか」という課題で始まる。つづく

【今日の”のびちゃん”】NO.18
11月30日、のびを置いて、京都動物愛護センターのイベントで「犬と楽しく暮らすための教室」なる講習会に行ってきた。

ドッグランも併設されていてとてもきれいな施設だ。
 同センターに収容されている動物たちの現状などの紹介がなされ、いわゆる京都方式が先進的だなあと思うのだが、それでも保護された犬猫をすべて譲渡することは困難だし、やむなく処分される犬猫もあるということで、縁あってじょんのびに来たのびちゃんを幸せにしてやらねばと心を新たにしたところである。さいわいのびの仲間15頭は当日最後の子がもらわれたと聞き、うれしく思う。ただ一緒にいた秋田犬のパールが大きさもあってか未だ収容されているというので、紹介する。老ノ坂の支所で一度会ってるだけに気にかかる。

体重23Kgで秋田犬としては小さめ。純粋種ではないかもしれないということ。立派な保護犬である。 

 

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