晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

幻の仏主峠ー5 7/3

2019-07-03 | 山・峠

2019.7.3(水)曇り 仏主峠考察編ー2

 前文は峠そのものに関する記述だが、そこに行った者でないと一体何のことかわからないだろう。そこに行ったわたしでさえすぐには理解できなかった。峠道は地理院地図をよく見ると、P831mの北100mあたりまで東側を捲き、稜線を乗り越して西側をまた100m程捲いている。この乗越のところが仏主峠なのだが、わたしたちはこの地点を通っているのだ。道標も目印も峠によくある地蔵さまや祠など何も無い、捲き道状の踏み跡はあるが、それは獣道としか思えないものだった。稜線はまばらに灌木の生えた歩きやすい道で、わたしたちは仏主側に下っていく道を探しながら歩いた。

平成14年二万五千分の一 和知に載っている仏主峠

 この峠が見つからないのは、目印が無いことと歩かれていないことだが、何よりも峠のしての必然性が無いことである。この間の稜線は岩稜でもナイフエッジ状でもなく、ピークがあるわけでなくおだやかな稜線であり、わざわざ捲き道をつくる必要は無い。三埜側から仏主側へ乗り越しているから峠であるというのはいかにも作為的なものを感じる。金久氏もこの峠に違和感を感じておられる。
 この峠は奇妙な峠である。この地点は鞍部でも何でもないし、尾根の斜面の一点を稜線の右側から左側にUターンする形で移るだけの地点である。
ー途中略ー
 峠を発した道は曲り鼻から左に振って支尾根にのる。この支尾根はピーク八三一から西に派生する小さな尾根で峠道はこの尾根をジグザグに下る。

「北山の峠」金久昌業著は峠巡りのバイブルである。 
 峠も奇妙だがこの文章も奇妙である。Uターンする形で移るとはどういうことだろう。そして以下の文章で事情が判明した。金久氏が歩かれた道は峠から先は現在の地理院地図の道とは違うのだ。おそらく当時の地図も違っていただろう。P831mから西に派生する尾根はわたしも認識していた、峠道としてではなく、舗装道路への近道として覗いてみた。下れそうだが道路に出る部分が切り立っていたらまずいなと思い、例のニセ仏主峠まで戻ることになった。このP831mから西に派生する尾根こそ本来の仏主峠道なのである。それは舗装道路がジグザグに下りていく尾根で、峠道はこの舗装道路が出来た時点で破壊されたようだ。それを近畿自然歩道として指定した環境庁(当時)の気が知れない。それは明らかに近畿自然破壊道路だからである。
 金久氏が歩かれた当時はこの舗装道路はなく、「リョウブ、コナラ、カエデ類などが小さくまとまって並ぶ雑木の尾根で、道端にはハギが咲きこぼれているのも好ましい。」と書かれている。
 舗装道路のショートカット道の途中に近畿自然歩道の案内看板があったのは、おそらく峠道の名残なのかもしれない。しかしその看板の位置も内容も記憶に無い、なにせその尾根に峠道が走っていたなんて思いもしなかったのだから、、、。つづく
 
 

コメント
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